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“わたし”を“死”から蘇らせた“父の霊”が、あなたたちの中に宿っているのです。

(ヨハネによる福音書 14:16-17、ローマの信徒への手紙 8:11、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、使徒言行録 2:32-33、エフェソの信徒への手紙 1:13-14、コリントの信徒への手紙一 6:19)

おそらくあなたたちは、これらの言葉の重要性に気づいていないでしょう。しかし、それは同じ“霊”であり、“霊”には分裂はなく、一つの“霊”が多数の“霊”の中に現れ、多数の“霊”が一つの“霊”の中に現れているのです。

(コリントの信徒への手紙一 12:4-11、エフェソの信徒への手紙 4:3-6、ヨハネによる福音書 17:21-22、詩篇 139:7-8、ローマの信徒への手紙 8:9、使徒言行録 2:17)

わたしが“わたし”自身の生命の中に完全に見たのはこの強大な“力”であり、その“力”を認めることによって、“わたし”の内に住まわれている“父なる神の霊”の“力”を用いることができたのです。わたしを死から蘇らせてくださった“父の霊”は、あなたたちの内にもおられるのです。

(ヨハネによる福音書 14:16-20、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、ローマの信徒への手紙 8:9-11、使徒言行録 1:8、列王記上 17:21-22、列王記下 4:34-35)

あなたたちの肉体感覚が不調や痛み、死の兆候を示したら、自分の内に留まっておられる“父の霊”を思い起こしなさい。

(イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:16-20,27、16:33、ローマの信徒への手紙 8:11、詩篇 23:4、テモテへの手紙二 1:7、コリントの信徒への手紙一 15:55-57、コリントの信徒への手紙二 4:16)

「“わたし”はある」という“力の言葉”によって、それを具現させなさい。あなたたちは「“わたし”はある」という言葉の意味を十分に理解していますか。

(出エジプト記 3:14、ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、13:19、14:6、18:5-6、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13、詩篇 46:10、イザヤ書 45:5-6)

“I am”という言葉の意味を理解していなければ、“実在”の内に「“わたし”はある」という“言葉”を発することはできません。「“わたし”はある」という言葉の意味を理解したとき、あなたたちは“力の言葉”(I am the Life)を学んだことになるのです。「“わたし”は“命”である」。“神の命”が“わたし”の中で生きているがゆえに、“わたし”は生きています。“命”は神であり、神は“命”です。

(出エジプト記 3:14、ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、11:25、13:19、14:6、詩篇36:9、イザヤ書45:5、コロサイの信徒への手紙 3:4)

ゆえに、“わたし”の“霊”はあなたたちの死すべき肉体を蘇らせ、“感覚というサタン”はあなたたちに屈服するのです。

(コリントの信徒への手紙二 3:18、5:4-10、ローマの信徒への手紙 8:11、イザヤ書 40:29-31、ヨハネによる福音書 6:63、ルカによる福音書10:19、エフェソの信徒への手紙 1:19-20、6:10-12)

内なる“霊”にこそ内在的な“力”があるという真実の“真理”を、これまでずっと隠してきたのは、感覚というサタンでした。

(コリントの信徒への手紙二 4:4、ヨハネによる福音書 8:32、エフェソの信徒への手紙 2:2、6:12-13、マタイによる福音書 13:19、ヨハネの手紙一 5:19、使徒言行録 26:18)

感覚(五感)は、外側から事物を明らかにしますが、“神の霊”は、内側から“真理”を明らかにします。この“真理”がなければ、あなたたちは無力なのです。

(ヨハネによる福音書 14:17、コリントの信徒への手紙一 2:10-12,14、ローマの信徒への手紙 8:5-6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、箴言 3:5-6、詩篇51:6、ペテロの手紙一 1:22、テモテへの手紙二 3:16-17)

死すべき感覚(五感)は、物事を外側からしか見ることができず、見てもそれが何であるか分かりません。知性にもとづいて推理するだけであり、インスピレーションを受けることはできません。インスピレーションは“内なる霊”からやってくるものだからです。

(コリントの信徒への手紙一 2:14、ヨハネによる福音書 3:6、16:13、エフェソの信徒への手紙 1:17、ローマの信徒への手紙 8:5、箴言 3:5-6、詩篇 51:10、テモテへの手紙二 3:15-17)