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ここでも同じことなのです。「上と同じように、下もそうなる」ということなのです。ある人の想念が別の人の想念に伝わるテレパシーによるコミュニケーションがあります。この仕事のために訓練された人の心は、わたしが与える思考を表現します。

あなたたちは、この兄弟(ベイン氏)の意識が死すべき感覚を超え、肉体感覚を超えて上昇し、“内なる領域の意識”へと高められていることに気づくでしょう。彼の意識はこの(わたしの)“意識”に連結され、それから自分の体に戻されるのですが、その際、脳と体を共鳴板として用いているのです。

このプロセスが進行している間、彼は自分に起こっていることのすべてを知っています。しかし、わたしのオーバーシャドウによる通信が終わると、演壇の後ろにあるレコーダーを再び聞くまでは、彼は何が起こったのか、何も知りません。

この兄弟が瞑想し、静かに座って彼自身の意識の内なる領域に再び入れば、そこにすべてが刻印されていることを見出し、わたしが与えたものすべてを引き出すことができます。そのため、この一連の講話が行われた後、彼は以前にも増して“真理”を表現するための偉大な器となるのです。

彼はそのためにヒマラヤで訓練を受けてきました ―― 時には7日間またはそれ以上も、飲食さえもなしで、より高いヴァイブレーションが受けることができるようになるまで完全な瞑想に没入したのです。

その結果、わたしたちは彼を世界中で用いてきましたし、これからも世界の各地で用いていくでしょう。こうしたことを語っているのは、あなたたちも知っておくべきだからです。ある日か、わたしたちは彼をあなたたちの目に見える世界からわたしたちの霊界に連れ戻すでしょう。目には見えませんが、そこで彼は再びあなたたちの中で働くことになります。わたしたちは彼を生気に溢れ、若く、強く、たくましく保ってきましたが、地上にいる限りはそうし続けます。

あなたたちが地上で聴くことができる最高の音楽を聴くことができたとしても、それはその作曲家の魂の中にある美しさが、わずかに伝えられたにすぎません。

あなたたちもそれと同じなのです。わたしがあなたたちに与えるものは、わたしを愛する者のために用意されている美しさのわずかを感じることができるようにするものです。わたしを愛する者は、わたしの父をも愛します。なぜなら、 “わたし” は父を“人”として体現しているからです。あなたたちが “わたし” を知るならば、あなたたちは “わたし” の父、すなわちあなたたちの父なる神をも知ることになるのです。

“父の愛”は天球の音楽のように流れ出で、それに心を開くすべての魂の中に満たされます。(詩篇 36:7、ヨハネによる福音書 4:24、ヨハネの第一の手紙 4:16、ヨハネの黙示録 21:4-7)

誰もが幸福を求めていますが、それを心の外に見つけることは誰もできません。心の内にあることに気づくことによってのみ、このリズムの喜びに満ちた力を感じることができるのです。(詩篇 1:1-3、マタイによる福音書 6:25-32、ヨハネの福音書 17:11ローマの信徒への手紙 15:13、フィリピの信徒への手紙 4:4-7)