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“天”とはもっとも内奥の“王国”、または“霊”の“王国”であり、“キリスト意識”、“至高者の幕屋”とも呼ばれています。(出エジプト記 25:8-9、詩篇 11:4、イザヤ書 66:1、マタイによる福音書 6:20、ヨハネによる福音書 14:2、ヨハネの黙示録 21:3)

“地”とは外なるもの、または反対側にあるもの、あるいは物質的なものの象徴ですが、両者は完全に一体となって、“唯一なるもの”の内に永遠に存在しています。(創世記 1:1、詩篇 104:2、イザヤ書 40:22、ヨハネによる福音書 14:2、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヘブライ人への手紙 4:14、ヨハネの黙示録 21:1)

「天国は汝の内に在り」―― この宣言は世界中に響き渡っていますが、その深遠な意味を理解した者はわずかしかいません。(マタイによる福音書 6:20、ルカによる福音書 17:20-21、ヨハネによる福音書 10:34、14:23)

“わたし”のこの言葉の深い意味を理解するとき、あなたたちはそれに伴う“力”も自覚します。なぜなら、内なる次元には“至高者”が宿られているからです。(詩篇 46:11、マタイによる福音書 6:21、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:23)

あなたたちの内におられる全能の神は強大です。神には迷いなく、いかなる存在よりも偉大であり、それは大天使の理解さえ超えています。しかしその神は、あなたたちの内に宿られており、その住処は「汝の“内なる天国”」と呼ばれているのです。(詩篇 32:7、46:1、91:1、118:14、箴言 18:10、イザヤ書 25:4、40:28,31、ナホム書 1:7、マタイによる福音書 6:33、13:44-45、ルカによる福音書 12:31、17:20-21、ヨハネによる福音書 14:23、コリントの信徒への手紙二 6:16、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、ヘブライ人への手紙 13:6、ペトロの手紙一 1:5、ヨハネの黙示録 21:1-4)

これが誤解されたり、理解されなかったりしたときに、人類は自らの地獄を創り出してしまうのです。(箴言 14:12、マタイによる福音書 7:13-14、ヨハネによる福音書 3:16-21、12:46、14:6、ローマの信徒への手紙 3:23、6:23、ヨハネの黙示録 21:8,27)

この驚くべき“真理”に気づき、それを受け入れたとき、あなたたちはもはや分離されてなく、孤独でもありません。そこには一体感があり、唯一感があり、その“わたし”を認識した個人には、“それ”は永久に、不変に続くのです。(創世記 1:27、出エジプト記 3:12、レビ記 19:18、申命記 4:37、詩篇 133:1、マラキ書 2:10、ヨハネによる福音書17:21、コリントの信徒への手紙二 13:13、エフェソの信徒への手紙 4:13)

この認識は悟りを通じて、時には瞑想によってもたらされます。しかし、決して分離や分裂を通じてやって来ることはありません。(レビ記19:18、申命記6:5、10:12、歴代志上28:9-10、箴言 2:3-5、3:5-6、詩篇 119:142、マタイによる福音書 5:23-24、22:37-39、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 8:32、14:17、コリントの信徒への手紙一 2:10、ヤコブの手紙 2:8)

いかなる隔たりがあろうとも、人びとの間に真の理解というものがあるはずです。なぜなら、深く内省するならば、わたしたちの内に“真理”が扉を叩き、中に入ろうとしていることに気づくでしょう。これは、すべての魂の中で起こっていることなのです。(詩篇 119:142、箴言 3:5-6、ヨハネによる福音書 8:32、10:9、14:16-8、コリントの信徒への手紙一 2:10-12、ヨハネの黙示録 3:20)

“わたし”を心(ハート)の中に受け入れた者は、すべての人を受け入れなければなりません。どんなに気むずかしい人であっても、どんなに悪人のように見える人であっても、受け入れなければならないのです。彼らはすべて“キリスト”の一つの心(ハート)の中に受け入れられます。“わたし”のもとに来た者で、かつて追い出された者は誰もいないのです。(マルコによる福音書 1:40-45、2:13-17、7:24-30、ルカによる福音書 15:7、ヨハネによる福音書 6:37、10:9、ヨハネの黙示録 7:9-17、5:13、 21:4)