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知的な知識では不十分です。父を知ることができるのは、“理解力のある心(ハート)”のみです。

心(想念)は論理的に考えることができます。論理的思考というものは良いものです。しかし、論理的思考を超えたこの “わかる”ということが先になければなりません。あなたたちはそれを感じなければなりません。それをあなたたちの心(ハート)でわかっていなければなりません。

本当に感じることができる前に、あなたたちの心も“愛”に満たされていなければなりません。これが“キリスト”であり、世に現れている力であり、人類全体を支えている“力”なのです。

あなたたちがこの全体に働いている“力”を絶対合一のものであると認識したとき、この“力”はあなたたちのために個別に働き始めます。あなたたちの内なるこの力の全一性に気づくにつれて、あなたたちはそれを感じ、知り、“愛そのもの”となるのです。

心(ハート)は“神の叡智”への入口です。これはあなたたちの自己自身の心(ハート)でしか理解できません。

心(想念)は論理的思考に導き、何が偽物であり、何が真実であるかを知り、理解することができます。想念はハートへの入口ですが、ハートが“キリスト愛”で満たされていなければ、あなたたちの中に“キリストの力”はありません。

心(想念)は効果的に論理的思考をすることができます。しかし、わたしがいう“理解”とは、知的な理解ではなく、想念の背後にあり、論理的な理解を超えた万物の“創造”の原因を覚知(かくち)するということです。

唯一の真理があるのみです。わたしは自分が知っていることをさまざまな方法で繰り返しています。これはわたしが知っている最も簡単で、最良の手段です。他の方法は用いません。

いろいろな考えや言葉、名言などを拾い集め、それらを繰り返す多くの人びとがいます。しかしそのようなことには、ほとんど価値はありません。悟りを伴っていない発言やその繰り返しは、“愛と叡智”である“キリスト力”の開発にはほとんど価値はないのです。

わたしが言っていることはこういうことです。「あなたたちが自分自身のハートの中で悟り始め、ハートが清らかになったとき、そこに“キリスト”が宿ります。言葉や考えは想念に属する観念ですが、観念を超えて本当に感じるのはハートです。考えは“真理”ではありません。言説や格言は“真理”ではありません。信念・信条・信仰は“真理”ではありません。“真理”はそうしたものすべてを超えています。