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人生には恐れる必要のあるものなど何もありません。すべてを父に委ね、耐え忍びなさい。あなたたちの多くはあれやこれやと恐れますが、それは“内なるキリスト”に気づいていないからなのです。

もしあなたたちが恐怖に満たされてしまうならば、それによって動揺が生じてしてしまい、しばしばまちがったことを行い、それがあなたたちの生活や人生にまで影響を及ぼしてしまうかも知れません。とはいえ、そうしたことはあまり重要なことではありません。なぜなら、“命”こそが唯一の“実在”であり、最終的にはすべての物事が正しい方向に進んで行くからです。

しかしあなたたちが恐れることなく耐え忍んでいるならば、父はあなたたちの中で座に着き、“わたし”も父と共に席に着き、あなたたちは今すぐに自由になります。

あなたたちは神の中に生きており、神はあなたたちの中に生きておられるということを知りなさい。神がおられない場所、神の外側など、どこにもないのです。この“真理”が本当に理解されたとき、あなたたちはいつどこにいても、常に安全なのです。(使徒言行録17章28節)

ああ、どうすればあなたたちに理解してもらうことができるだろうか ―― あなたたちの中に生き、あなたたちを通して生きておられるのは神であり、“父ご自身”なのです。父の“意識”、父の“命”、父の“知性”、父の“叡智”は、あなたたちの中で、あなたたちを通して、絶えずご自身を表現されておられるのです。もしあなたたちがこの驚くべき“真理”に目覚めるならば、神がおられない場所などはないことを知るでしょう。神は遍在であり、ありとあらゆる場に臨在されています。あなたたちがどこにいようとも、神はそこにおられるのです。(ヨハネによる福音書10章34節)

“力”の秘密はあなたたち自身の“意識”の内にあります。なぜなら、“神の意識”、“神の知性”は、あなたたちを通して “ご自身”を現し、あなたたちを神の息子・娘にされているからです。(ヨハネによる福音書10章34節、コリントの信徒への手紙一13章2節)

死すべき感覚を静めなさい。そうすればあなたたちの内なる“キリスト”があなたたちの身体を支配します。肉体感覚が活動的なときは、あなたたちの内なる“キリスト”は沈黙しています。

恐れるべきものは何もありません。忍耐強くありなさい。あなたたちのために語ってくださることを父に委ねなさい。わたしたちに内在されている父なる神が語られるのです。わたし自身は無ですが、わたしの内に住まわれている父なる神はすべてのすべてです。父なる神は“わたし”をご存じであり、“わたし”は父なる神を存じています。“わたし”が父なる神を存じているからこそ、父なる神は“わたし”の中で、“わたし”を通して語られるのです。このようにして“わたし”は、“神の平和と愛”、“神の癒やしと叡智”をもたらすのです。(ヨハネによる福音書5章19、30、38節。7章16節。8章28、42節。10章33-38節。14章10節)

父は常に“わたし” の中で、父ご自身をあなたたちに明かしておられます。「わたしは“命”である」からです。「わたしは命である」 ―― これが世の初めにあった“言葉”なのです。(ヨハネによる福音書1章1-3節)

多くの人びとが“わたし”を“人類の救世主”として受け入れることを拒否してきました。しかし“わたし”は“命”である。唯一の“実在”である“父の命”が、その“子”の中にあるのです。(ヨハネによる福音書5章39-40節)