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過去のすべての記憶が洗い流されていく中で、これらの経験を通して彼らは“神の愛”を知るようになったのです。父なる神の“愛”の美しさに心(ハート)が歓喜するように、魂はそのすべての栄光の中で開花し、繁栄します。

人の内なる“神の霊”は、“愛と幸福”という永遠に続く神聖な“命”の“真理”に目覚めており、その真の本質である“愛”の中に、喜びに満ちた表現を通じてご自身を現されています。

“実存”(Being)の真理が心(想念)の中で解き明かされるにつれて、人は宗教の制約された形式という分離を捨てることになります。そのとき、真理は一つ、神の民は一つ、一人の羊飼いと一つの群れがいるのみとなり、すべての人びとが“わたしの声”に耳を傾けるようになります。

あなたたちを取り囲む暗闇はあなたたちに敵対しているように見えますが、実は“わたし”があなたたちの中で成長するための手段なのです。怖れてはなりません。“わたし”は“征服者”なのです。

また、悲しみや困難に遭遇したとしても、喜びをもって挨拶しなさい。あなたたちは“わたし”の中で、それらを通して、それらを克服することによって成長するのです。

神の“考え”は神の“言葉”であり、“わたし”はその“言葉”であり、肉の中に生まれ、そこで花開き、肉を超えて父と永遠に共に生きるために成長したのです。これが全人類の歩む道なのです。

かくて“わたし”はいつもそうですが、“実存”という最奥の次元に現れています。“わたし”の根は“神の永遠の思考”にあるのです。

初めに“言葉”があり、“言葉”は神と共にあり、まさにその“言葉”は神でした。 “言葉”は肉となりました。それは肉から成長し、肉に打ち勝ち、世に打ち勝ったのです。“キリスト”はこのように成長し、神の似姿となって花を咲かせていきます。 “キリスト”は世に打ち勝つために世に植えられた神の種だからです。

 “わたし”は最奥の“実存”の界層(かいそう)に現れます。“わたし”は死といったものは人間の限定された心(想念)の中にしか存在しないことを知っていました。“命”そのものはいわゆる死によって影響を受けることはないというこのすばらしい“永遠の命”の“真理”を、あなたたちはいつ把握することができるのでしょうか?

いわゆる死と称される経験によって“生命”に中断はもたらされませんが、“霊”の展開によって、肉の制約からの解放がもたらされます。