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“わたし”の父は完全であり、誰一人、失われる者はいません。すべての者が見つかり、群れに連れ戻され、群れは完全になり、喜びが満ちるのです。これこそが神の御心、すなわち、一人ひとりに対する“愛”に満ちた完全なる“幸福と安らぎ”なのです。

この“平安”は必ずやって来ます、すでに定められているのです。

父なる神の世界に対する構想は完全であり、何一つ欠けているものはありません。“神の霊”があなたたちの中に“キリスト”として人格化されているように、“キリスト”は父によって創造された栄光のうちに君臨されるのです。

多くの人びとが地上を去りながらも、物質は物質自体として実在であるという誤った考えに固執しています。長い間、慣れ親しんだこの感覚=信念(sense-belief)は、多くの敬虔で高潔な魂の進歩を遅らせてきました。彼らは物質的な感覚がいまだに現実だと感じるために物質的な意識の中で生き続けています。

覚えておきなさい。あなたたちが見ているものは“実在”ではありません。それは内なるものの反映にすぎません。表面に見えているものは変化し、過ぎ去り、無に帰していきます。しかし、“真実”なるものは永遠に残り続けるのです。

物質的なものを実在と見なしてはいけません。それらは目に見えないものの影響でしかありません。多くの人びとが物質の堅固さや現実性を信じたまま、内なる領域に入ってきています。

高潔な魂でありながらも、彼らは“キリスト”の中で眠り、“キリストの力”や“キリストの命”による自由という悟りに目覚めていません。これらの高潔な魂は、彼らの束縛された信仰や信念によって妨げられ、物事の真の本質に対する理解が欠けているのです。

そのために、彼らのために用意されているより高次な体験へと展開していくことが阻まれてしまっています。

唯一の実体は神なのです。ありとあらゆるすべてが“神の想念(マインド)”であり、“神の創造”なのです。目に見えるものは神の思考の反映に過ぎず、真の存在の恒久的な状態は神の“永遠の実在”に根ざしているのです。

これらのことがあなたたち自身の意識の中で現実のものになるまで深く沈思黙考(deep contemplation)、観想、黙想、瞑想を行いなさい。