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何人かの人びとがこれらの講話に参加させてもらえなかったという不満を兄弟に対して言ったことをわたしは知っています。この講話は特別な条件の下でしか実現できません。わたしがあなたたちを選んだのであり、あなたたちがわたしを選んだのではないのです。(ヨハネによる福音書15章16節)

他の人びとをこれらの偉大なる“真理”から閉め出したいと思ったからではありません。これは覚えておきなさい。その理由はあなたたちが選ばれたからなのです。今日まで多くの者が呼ばれたのですが、選ばれる者はほんのわずかでした。わたしは弟子たちに、“神の力”とそれを賢く用いる方法を理解させるために、秘密裏に教えました。このような方法でわたしはあなたたちにも教えています。あなたたちもこの力を賢明に用い、世界により良い理解をもたらすことができます。

あなたたちが世に出て行くときは“わたし”の弟子となり、“永遠なる命”の“真理”を広め、“愛”のみが世に“平和と幸福”をもたらすことができるということを伝えるのです。

人は “わたし”を見上げなければなりません。そうすることによって、人は自己を引き上げることができます。モーゼによって荒れ野で上げられた蛇のように、“人の子”も引き上げられるのです。(民数記21章4-9節、ヨハネによる福音書3章14-15節)

それでは、“キリスト”をあなたたちの心(ハート)に常住させなさい。そうすればあなたたちは、常に、絶えず、新たなキリストの展開に気づくことができるでしょう。あなたたちの内に“神のキリスト”として人格化された“神の霊”の創造力を、あなたたちの目で見、耳で聞き、そして知ることができるのです。

真の祈りとは深い真剣さです。そうした祈りには大いなる引力が備わっています。真剣な祈りは、外の神ではなく、内なる“神のキリスト”を通じた“父”との霊交なのです。祈りに際しては、真剣さが特に重要であることをあなたたちの心に刻みつけておきます。

これが祈りにおける真剣さというものです。その答えは、“創造力”と“創造”の場は内にあり、そこに“わたし”は住んでいるということです。ゆえに、“わたし”は“万生万物”の内に生きていると認識しなさい。

あなたたちが“わたし”を愛するとき、あなたたちは“わたしの父”をも愛しているのです。父は父を愛する者に大いなる恵みを用意されています。

“わたし”は神と共にあった初めの“言葉”であり、すべてのものは“わたし”の手によって生じました。“わたし”なしに生じたものは何一つないのです。

父は“わたし”を通して創造され、今も“わたし”を通して語り続けておられます。