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目覚めることによって扉を開くことができるのは、唯一あなたたち自己自身のみなのです。“キリスト”があなたたちの中で展開していくにつれ、あなたたちは(すでに)自分が父の家にいることに気づき、あらゆる良きものがふんだんに用意された食卓でごちそうをいただくことができるようになるのです。

これこそが、わたしたちが生き、活動し、わたしたちの“存在”を保っている“唯一の永遠なる全能者の真理”の栄光なのです。この“真理”があなたたちを自由にするのです。

“わたし”は神の“愛”と“叡智”です。ゆえに、あなたたちの心(ハート)の中で“わたし”に耳を傾けなさい、そこに“わたし”が宿っているからです。

“わたし”のハート(心臓)とあなたたちのハートを一つにして鼓動させなさい。そうすれば、あなたたちの肉体も含めた外なる世界の全体にわたって“命の光”が灯ります。 “主”であり“王”である方が命じられたからです。それによって、あなたたちの肉体のすべての細胞が内なる“生ける臨在”の真実に目覚め、あなたたちのやることなすこと、すべてが成功するでしょう。

“わたし”のハートとあなたたちのハートは一つになって鼓動しなければなりません。このことを軽く受け流してはいけません。これが何を意味するのか、あなたたちの心(ハート)の内奥で感触を得なさい。

覚えておきなさい。 “キリスト”はあなたたちの“命”であり、死を含むすべての敵が鎮められたのです。 “キリスト”にあって死ぬということは、永遠に生きるということなのです。

もしあなたたちが現世の肉体感覚(死すべき感覚)のままでありながらも、目を上げてあなたたちの周りを見渡すことができたら、わたしが語ったことをもはや疑うことはないでしょう。あなたたちの愛する人びとは、今あなたたちと共にここにいるのです。

彼らの大多数は、自分たちが地上にいる間に授けられなかった“真理”をあなたたちが授けられつつあることを知り、喜びに満たされています。彼らの多くがこの“真理”を地上にいる間に受けとらなかったために、 “永遠の命”を知らずに内なる領域に移行してしまったからです。

死はないこと、死の到来によって個人の生命や生活が中断されることはないことを、あなたたちが明らかに自覚しながら内なる領域に入るならば、その報酬はなんとすばらしいものでしょうか。死とは、地上の身体に蒔かれた“霊”が、“霊”の身体に移行するときに起きる変化にすぎません。あなたたちの地上の状態で今生きているのは“キリスト”です。そしてまた、未来永劫に生きるのも“キリスト”です。(コリントの信徒への手紙一15章44節)

ゆえに、断固として、力強く、不動でありなさい。そうすれば日々成長するのです。たとえすぐに成果が見えなくても、闇の中でさえも着実に成長しているのです。