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しかしわたしは言っておきます。あなたたちの中にこそ“キリスト”が宿っているのです。その“キリスト”のみが生きており、その“キリスト”こそが“父の独り子”なのです。あなたたちがこの“真理”を理解し、自己自身を“霊”から生まれた神の息子・娘と自覚し始めたならば、すでに伝えていますが、地上の何人をも父と呼んではなりません。天におられる唯一の方があなたたちの父だからです。(マタイによる福音書23章9節)

(外に)助けを求めてきたあなたたちの多くは、今やあなたたちの自己自身の内なる“キリスト”に耳を傾けなければならないのです。

あなたたちの内なる“キリストの霊”こそが、あなたたちの人生の正しい支配者であることを学ばなければなりません。盲人を導く盲人に心を留めてはなりません。あなたたちは今、“唯一の生ける神”が存在するという“唯一の真理”を理解し始めているのです。

“キリスト”はパン生地の中のパン種です。パン生地とは人類のことであり、人類には“キリスト”のパン種が必要であり、すべての人と人をつないでいる“キリスト”によって、すべての人が“キリスト”のパン種となるのです。(マルコによる福音書8章15節、マタイによる福音書16章12節、ルカによる福音書12章1節、コリントの信徒への手紙一5章6-8節、ガラテアの信徒への手紙5章9節)

あなたたちが“わたし”を想いながら求めるならば、たとえ空が晴れ渡っていようともわたしの父は、野のすべての草の葉に雨を与えて下さるでしょう。

あなたたちが“わたし”の言葉を心に留めることができるように、このような話し方をしました。すべての草の葉とはすべての魂のことでもあり、すべての魂は神のシャワー、すなわち“愛と叡智と真理”という“霊”のシャワーによって潤されるのです。すべての草の葉は天から降ってくる雨によって洗い清められるのです。

これらを成さるのは父のみであることを知らないのですか。神の中でのみ、あらゆる万生万物が形づくられるのです。神なしに、あるいは神の外で形づくられることはできないのです。

あなたたちは、空を見て雲が集まってくるのを見れば、雨が降りそうだと言います。あなたたちに言っておきます。たとえ空が晴れていても、“わたし”を想いながら父に雨を乞うならば、父は“わたし”を信じて雨を降らせてくださるのです。

わたしが水の上を歩き、手元にあったわずかなパンと魚で、何千人もの人びとに食べ物を分け与えたのは、この力を用いたのです。(「水の上を歩く」:マタイによる福音書14章22-33節、マルコによる福音書6章45-52節、ヨハネによる福音書6章15-21節。「五千人に食べ物を与える」:マタイによる福音書14章13-21節、マルコによる福音書6章30-44節、ルカによる福音書9章10-17節、ヨハネによる福音書6章1-14節)

これらは奇蹟ではなく、“わたし”は父が父の民を養うための手段であることの “悟り”だったのです。“わが民を養え”と聖書にありますが、“わたし”は“命の霊”によって彼らを養ったのです。(サムエル記下5章2節、7章7節、歴代誌上11章2節、17章6節、エレミヤ書23章2-4節)