講話番号順に表示 新規投稿順に表示

『聖書』やその他の啓示の書、特に瞑想のためにあなたたちに与えてきた“わたし”の言葉を読むときは、言葉の背後にある“霊”を求めなさい。求めなければならないのは文字や言葉ではありません。静かに待ち、深く考えなさい。そうすれば “わたし” はインスピレーションを与え、あなたたちの中に“真理”を現します。(箴言 2:1-5、イザヤ書 55:10-11、ヨエル書 2:28-29、ヨハネによる福音書 14:16-17、コリントの信徒への手紙二 3:6)

このようにしてあなたたちは“真理”を自分のものにします。このような方法以外に、“真理”があなたたちの内に明かされることはありません。“真理”は外からではなく、内からやって来なければならないのです。これらの言葉はあなたたちの意識をすべてが明らかになる“霊”の領域へと高めます。

(箴言 4:20-23、イザヤ書 55:6-7、エレミヤ書 31:33、ヨハネによる福音書 14:16-17、16:13、コリントの信徒への手紙二 4:6)

『聖書』には“神の霊”が鳩のように降りてきて、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」と語ったと記されています。(マタイによる福音書 3:16-17、マルコによる福音書 1:9-11、ルカによる福音書 3:21-22)

目に見えない存在からの“直接の声”(Direct Voice)が聞かれるということは古くからあり、わたしが地上にいた時代にも、この"法則"を理解している人びとにとっては珍しいことではありませんでした。当時は現代よりも頻繁に起こっていました。(出エジプト記 3:1-6、サムエル記上 3:1-10、ヨハネによる福音書 3:8、12:28-30、ヘブライ人への手紙 1:1-2、ヨハネの黙示録 1:10)

あなたたちの多くは、まだ天からの直接の声に耳を傾けたことはないでしょう。その声を聴くことができるのは、特別な静謐の中で、沈黙が訪れたときのみです。その静寂は、心(想念)のヒマラヤ山脈においてもっとも効果的に得られます。(列王記上 19:11-12、詩篇 46:10、イザヤ書 41:1、ハバクク書 2:20、マタイによる福音書 6:5-6、ヨハネによる福音書 14:20)

そのとき現れた同じ“霊”が、今、あなたたちの中に現れているのです。(サムエル記上 10:9-11、ヨハネによる福音書 14:16-17、使徒言行録 2:1-4、コリントの信徒への手紙一 12:4-11)

この同じ“霊”は、もしあなたたちが信じさえすれば、あなたたちに仕えてくれるのです。(サムエル記上 10:9-11、ヨハネによる福音書 14:16-17、使徒言行録 2:1-4、コリントの信徒への手紙一 12:4-11)

あなたたちの意識の中で働いている“わたし”の思考の力が“真理”を明かすという意味がわかりますか。まことにあなたたちに言っておきますが、信仰によって支えられた最後の瞬間こそがもっとも偉大なのです。その瞬間にこそ栄光に輝く“霊の力”が示されるからです。(出エジプト記 14:15-31、ヨシュア記 3:5-17、列王記下 2:7-14、イザヤ書 55:11、マタイによる福音書 17:20、ヨハネによる福音書 14:16-17、19:28-30、コリントの信徒への手紙二 13:13、ヘブライ人への手紙 10:39)

ペテロが波の上で自分を支えることに失敗したのは、この最後の瞬間でした。(マタイによる福音書 14:22-33)

この話は多くの言葉で、さまざまな書き方で描かれていますが、本当の事実は次のとおりでした。(マタイによる福音書 14:22-33)