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“わたし” の言葉は天からのものであり、神の豊かな富と叡智を注ぐ“唯一なる神の霊”からの啓示なのです。(詩編 19:7-11、ヨハネによる福音書 1:1-14)

あなたたちがインスピレーションを受けることができるのも、これらの言葉を通じてなのです。 “わたし” の言葉は天からのもの、内なるもの、外なるものは決して触れることができない領域である至高の意識から来ているのです。しかしその領域は、外なるものを通じて外にそれ自身を現すことができます。そのとき、外なるものは内なるもののようになるのです。(イザヤ書 55:10-11、ヨハネの福音書 1:14,6:63、ローマの信徒への手紙 8:29-30、コロサイ人への手紙 3:16、エペソの信徒への手紙 1:17-20)

これらの言葉はあなたたちのために録音され、書き起こされています。したがって、あなたたちは静かなひと時にそれらを吸収し、瞑想し、自分のものにすることができます。そうすることによってそれらを死すべき感覚を超えたレベルに高めることができ、以前には持っていなかった悟りと力を得ることができるのです。(詩篇 1:2,119:11、箴言 2:1-5、ヨハネによる福音書 14:26)

啓示を受けることは、すべての人びとに可能なのです。まさに今でさえ、あなたたちは、 “命”に隠された奥義が理解できるように、“わたし” の言葉を通じてインスピレーションを受けているのです。(詩篇 42:1-2、箴言 2:6、ヨハネによる福音書 14:26)

ゆえに、 “わたし” の言葉は、あなたたちが自分自身の内に秘められている偉大で栄光に満ちた“真理”を学ぶための手段となるのです。(申命記 30:11-14、詩篇 51:6、箴言 2:1-5、イザヤ書 55:10-11、ヨハネの福音書 8:32,14:6)

死すべき感覚を通じて、それぞれの時代の言葉で語るにもかかわらず、その語られた言葉を“永遠なる”もの、 “霊”的なものとされる奇蹟こそ、神の働きなのです。(詩篇 33:6、イザヤ書 40:8、ヨハネによる福音書 1:1-3、ヘブライ人への手紙 1:1-3)

“わたし”の中で語られるのは“父”です。死すべき感覚、死すべき肉体を通して語られ、これらの言葉を“永遠”にして“常在”なる“実在”とされるのです。(イザヤ書 51:16、ヨハネによる福音書 14:10,14:26,17:21-23)

今、内なる領域にいる人びとは、死すべき肉体からすでに去りましたが、今までどおりに生きています。彼らも“わたし”の言葉を聴き、それによってインスピレーションを受けているのです。(ヨハネの福音書 11:25-26)

悟りによって、あなたたちの誰もが死すべき感覚を超えた高次の意識の領域に、今、入ることができるのです。(ヨハネによる福音書 14:6、コリントの信徒への手紙一 2:14、エペソの信徒への手紙 1:18、ヨハネの黙示録 3:20)

わたしが“パン”という言葉を用いたとき、わたしはこの言葉に聖なる霊的な意味をもたせたのです。すなわち、あらゆる物事においてあなたたちを支える霊的な糧となる“真理”という意味を込めていたのです。(マタイの福音書 4:4、6:11、マルコによる福音書 11:9、ルカによる福音書 11:3、ヨハネによる福音書 6:5-6,35,48,51,63)