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重荷を背負うすべての者よ、安らかでありなさい。 “わたし” に耳を傾けなさい。“わたし”の声はあなたたちを導き、“わたし”の力はあなたたちを支えます。“わたし”の“愛”は常にあなたたちと共にあります。(マタイによる福音書 11:28-30、ヨハネによる福音書 14:27、ローマの信徒への手紙 8:28)

かくして、あなたたちの光は世に輝き、世はあなたたちの善い行いを見て、“天”におられるあなたたちの“父”を讃えるようになります。(イザヤ書 60:1-3、マタイによる福音書 5:14-16、6:1-4、ヨハネによる福音書 13:34-35、コリントの信徒への手紙二 9:6-11)

“わたし”は預言者たちの“律法”を廃れさせるために来たのではありません。“わたし”は“律法”の成就であり、すべてが成就するまで、少しも“律法”を無視することはないからです。“わたし”を通して、神の“律法”は世に明らかにされるのです。(マタイによる福音書 5:17-18、ルカによる福音書 16:17、ヨハネによる福音書 1:17)

このことについて深く考えてほしいです。それを内なる意識に引き上げ、そこで熟考しなさい。(詩篇 4:4、箴言 4:23、マタイによる福音書 6:6)

あなたたちの内なる“キリストの霊”をあなたたちの唯一の導き手としなさい。あなたたちが今、自分自身を知ることができるようにするために “わたし”が来たのです。(申命記 30:19-20、詩篇 139:23-24、ヨハネによる福音書 14:16-17、コリントの信徒への手紙二 13:5)

あなたたちに対する“わたし”の“愛”は極めて大きなものです。ゆえに、“わたし”の“愛”を常にあなたたちの中で生かしなさい。“愛”は“天”においても“地”においても、すべての“力”だからです。(ヨハネによる福音書 15:9-10、コリントの信徒への手紙一 13:13)

“わたし”の内に住まわれ、“わたし”のために語られているのは“神の霊”です。“わたし”もまた、あなたたちのために語ります。“わたし”を想いながらあなたたちが求めたものは、どんなものであれ、“わたし”は父に求めます。父は “わたし”を思い起こしながら求めたものは、何でも与えられます。(マタイによる福音書 7:7-11、ヨハネによる福音書 14:16-17、15:7、16:23-24、ヤコブの手紙 1:5-6)

“わたし”を心に留めるとき、あなたたちは神の“愛”、神の“叡智”、神の“力”に気づき、それが自分自身の内に宿っていることを知ります。自分から離れた相対的な何かではなく、真の自己自身であるという“真実”を知るのです。(ヨハネによる福音書 14:16-17、15:7)

“わたし”を思い起こしなさい。そうすれば“わたし”はあなたたちのところに行き、あなたたちは“わたし”を知ることになるでしょう。“わたし”は決して何人からも顔を背けることはありません。ただ心を安らかにし、“わたし”を心に留めなさい。(イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:16-17、15:7)

人の心が“霊”に影響を及ぼすということは一切、不可能です。ゆえに、いつ、どのようなときでも“霊”に委ねなさい。 “霊”はすべての“力”であり、“神のキリスト”は唯一の“実在”なのです。(イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:16-17、15:7、コロサイの信徒への手紙 1:27)