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あなたたちの内なる“キリスト”の偉大さを把握し尽くすことはできません。“キリスト”は人の魂に宿る“神の臨在”を絶え間なく明かしているからです。

世に存在しているすべての魂に“神の臨在”があり、“キリスト”はこの“臨在”を不断に明かしているのです。

“キリスト”は虚偽と真実を識別しています。また、“キリスト”は過ちを正します。過ちは正されると、過った状態は消えてしまいます。“キリスト”は神と人の仲介者であり、神を理解し、人を理解しています。“キリスト”は、“神の霊”ご自身が個性化して顕現したものだからです。

あなたたちの中で個性化された父が、あなたたちの内なる“キリスト”となります。ゆえに、“キリスト”は神を知り、人を知ります。“キリスト”は肉の弱さを理解し、世の苦しみを理解しています。あなたたちが自己の内なる“キリスト性”に達するまでは、“人類のキリスト”については決して理解されることはありません。

このことについてはあなたたちはなお多くのことを学ばなければなりません。あなたたちが“無私のキリスト性”に達して初めて、“人類の罪を贖う十字架”が何を意味するのか、その完全な意味を理解することができるのです。

 「“わたし”はある」が“普遍人間”(Universal man=“キリスト”)です。すべての人びとは、この“わたし”の中に真実の人間関係を見出すことができるのです。

わたしたちは皆、一人の父から生まれたのです。この理解を深めていくにつれて、あなたたちは自己自身の内なる“キリスト性”の完全さに到達します。あなたたちはこのようにして幻想の世界から解放されるのです。

わたしの声、すなわちこの知識、この真理は、あなたたちだけでなく、ここにいる肉眼には見えない多くの人びとにも聴かれているのです。なぜなら分離はないからです。分離しているのは人間の心(想念)の中だけで、“実在”には分離はありません。

“わたし”は葡萄の樹であり、父はその樹の中に流れている樹液、そしてすべての人類は枝なのです。

一本の木には多くの枝がありますが、すべての枝の中にあるのは“唯一の命”です。わたしはこのように比喩を用いて語ります。あなたたちが電気と呼んでいるものについて比喩を用いるのと同じです。