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電気は“命”がある程度まで現象化したものですが、電気はどこにでもあります。電気のないところはどこにもありません。それであなたたちは、動力として、光として、その他さまざまな用途に利用しています。

わたしたちは今日の世界で多くの発明が生まれていることをよく知っています。あなたたちの科学的精神は、“神の知性”が表現されつつあるチャネル(伝達経路)です。なぜなら、地上の人類はあらゆることを知らなければならないからです。あなたたちは事物の背後にあるものを理解し、見ることになり、本来、完璧であるあなたたちの神聖なる性質を次第に自覚するようになっていくでしょう。

そうした自覚が得られるならば、“わたし”すなわち“普遍人間”(Universal man=“キリスト”)と、この“普遍人間”を介してすべての人種がお互いを理解するようになります。なぜならその関係は兄弟となるからです。

わたしは真に神の子であり、同時に人の子でもあるため、神と人の大いなる統一が“十字架”によって明らかになりました。死は決して神の子には触れませんでした。彼は“キリスト”であり、死に打ち勝っているからです。

キリストが肉において死ぬのは、“霊”にのみ生きるためです。“わたし”は父と共に永遠に生きる者であり、“わたし”を信じる人びとも同様です。

父と共に生きるためには死ななければならないと思ってはなりません。あなたたちは今、父と共に生きており、父の中にいて、父はあなたたちの内に生きているからです。もしあなたたちがこれらの言葉を理解することができるならば、あなたたちは分離も死もないことを見出すでしょう。

父は本質的に“無限”です。“無限”であるためには、ありとあらゆるすべてを含まなければなりません。そうでなければ無限ではないからです。父はあなたたちの内にも存在し、あなたたちも父の内に存在しています。そうでなければあなたたちは生きることができません。父の外には何もなく、父は“父ご自身”で完全だからです。

あなたたちは父によって、父の内に創造され、父の内に生きています。あなたたちの内なる“命”は父の“命”なので永遠です。 “わたし”と父は一つです。

自分自身の意思に反して自分を傷つける力など存在しません。

わたしが幽界の森へと入って行ったのは、己自身の無智という暗闇に囚われた魂たちのためでした。彼らを解放し、神から分離させているものを解消させ、すべての魂が“キリストという実在”の中で生きることができるようにするためだったのです。