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この“愛”が自己の内にあるのだと認識したとき、あなたたちの内から強大なる“力”が湧き上がって来るのです。外から来る力など、まったく何もありません。
(ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 14:23、マタイによる福音書 22:37-39、ヨハネの手紙一 4:19-21、詩篇 42:1-2)

“愛”はその“本源”より絶えざる一本の流れとなって注ぎ出ており、実在する“唯一の力”であり、魂も身体も、“それ”によって支えられているのです。
(ヨハネによる福音書 3:16、4:14、ヨハネの手紙一 4:7-8、コリントの信徒への手紙一 13:13、ローマの信徒への手紙 8:38-39、詩篇 103:1-5)

“愛”は内なる心の至福であり、魂と身体の保護者です。すべての“神の御業”は“神の愛”に基づいているのです。
(ヨハネによる福音書 3:16、ヨハネの手紙一 4:7-8、詩篇 103:1-5、コリントの信徒への手紙一 13:4-8、ローマの信徒への手紙 8:38-39)

すべては“神性なるもの”に従います。このことを知れば知るほど、あなたたちは神のようになっていきます。すべては同じ力に従っています。なぜなら、“無限の生ける命の力”以外に、どんな力も存在しないからです。ゆえに、“神聖なる神の遍在”のみが“実在”なのです。
(ローマの信徒への手紙 11:36、ヨハネによる福音書 14:20、17:3、コリントの信徒への手紙一 8:6、コリントの信徒への手紙二 3:18、詩篇 139:7-10)

“愛”は全宇宙に存在する唯一の“力”です。全宇宙のすべての存在が“愛”に応えています。花も動物も、人間も天使も、すべての存在が“愛”を崇め、“愛”に共鳴します。
(マタイによる福音書 22:37-39、ヨハネによる福音書 3:16、ヨハネの手紙一 4:7-8、コリントの信徒への手紙一 13:4-8、詩篇 103:1-5、145:9)

“愛”は神なるがゆえに、存在するものの中で最も大いなる力でなければなりません。“愛”はすべてを調和させます。“愛”は“大自然”のどんなものからも分離することはできません。なぜなら、“愛”はすべての真実の現象の背後にある原因であり、他のすべての状況が取り去られても存続するからです。
(コリントの信徒への手紙一 13:1-13、ヨハネの手紙一 4:7-8、ヨハネによる福音書 3:16、詩篇 103:1-5、マタイによる福音書 22:37-40)

苦境に立たされても“父”に見放されたとは思わないでください。“父”はあなたたちをさらに完全な存在とし、“父の創造力”を発揮するための、より完璧な媒体にされようとなされているのです。
(ヘブライ人への手紙 12:5-6、ヤコブの手紙 1:2-4、ローマの信徒への手紙 5:3-5、8:28、詩篇 34:18、ヨハネによる福音書 14:27、マタイによる福音書 6:25-34)

無智は、それ自体には何の原理もないように、誤りにも原理はありません。数学には原理がありますが、誤りには原理はありません。誤りは正されれば消えてしまうからです。ゆえに、無智や誤りには、それ自体にはどんな力もないことがわかるでしょう。
(ヨハネによる福音書 8:32、箴言 1:7、コリントの信徒への手紙二 4:4、ヘブライ人への手紙 5:14、ヤコブの手紙 1:5、マタイによる福音書 6:22)

預言者(ソロモン)は、『箴言』に書いています。
「子よ、蜜を食べよ。実に良いものだ。滴る蜜は口に甘い。魂にとって知恵も同じと知れ。それを見いだせば、未来があり、希望が絶たれることもない」と。
(箴言 2:1-5、16:24、24:13-14、詩篇 19:7-10、119:103-105、マタイによる福音書 13:44-46、ヨハネによる福音書 4:13-14、ヤコブの手紙 1:5)

“愛”は、学んだ者も学んでいない者も、賢いも者も愚かな者も、すべての者が使える秘薬です。“愛”はすべての言葉を語ります。“愛”は魂の安息の地です。
(マタイによる福音書 11:28-30、22:37-39、コリントの信徒への手紙一 13:1-13、ヨハネによる福音書 3:16、箴言 3:3-4,13-18、詩篇103:1-5)