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わたし自身の体験から、“愛”という“神の本質”を意識的に認識することによって、肉体が変化していくことを知りました。“愛”は全てのものを創造し、全てのものを引き寄せる“力”なのです。
(ローマの信徒への手紙 8:11、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、ヨハネによる福音書 1:1-14、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、ヨハネの手紙一 4:7-12、詩篇 139:1-18、イザヤ書 41:10)

世界とその中にあるすべてのものを創られ、天と地の“主”である神は、人の手によって造られた神殿には住まわれず、人の手に仕えられることもなく、足りないものは何一つありません。なぜなら、神こそがすべての人びとに“命”と息を与えられた方なのです。
(使徒言行録 7:48-50、17:24-25、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 4:21-24、イザヤ書 66:1-2、詩篇 50:7-15)

神は、地上に住むすべての人びとを一つの血から造られました。それは、人びとが、“神の愛”と“神の被造物”によって神を探し求め、神を見出すべきためです。
(使徒言行録 17:26-28、ローマの信徒への手紙 1:19-20)

神からかけ離れているという人はいません。人はすべて、神の中に生き、神の中で動き、神の中に存在しているのです。かつてある賢者が語ったとおり、「人は皆、神の血縁者」なのです。そうです、“わたし”を見たものは、“父”を見たのです。
(使徒言行録 17:24-28、詩篇 139:7-12、イザヤ書 45:21-22、ヨハネによる福音書 14:9)

これらの言葉を十分に理解したとき、謎は無くなります。理解されれば、神秘さは消えてしまうのです。
(ヨハネによる福音書 14:26、コリントの信徒への手紙一 2:7、13:12、コリントの信徒への手紙二 3:14-16、マタイによる福音書 13:11-15、コロサイ人への手紙 1:26-27、エフェソの信徒への手紙 1:9-10、ペトロの手紙一 1:10-12、テモテへの手紙二 3:16-17)

一粒の物質の粒子といえども、神によって創られなかったものはありません。全宇宙の粒子は、すべて神によるものでなければなりません。神のみが存在し、神が “ご自身”を顕現されているからです。 “わたし”と“父”とは一つです。“わたし”と“父”の間に分離はありません。
(ヨハネによる福音書 1:1-3、コロサイの信徒への手紙 1:16、ローマの信徒への手紙 11:36、コリントの信徒への手紙一 8:6、イザヤ書 45:5-7,21-22、詩篇 139:7-12)

したがって、神の家族である人間は、人の知識や技術によって、金、銀、石材で造られた神の姿に似せられた偶像を拝む必要はありません。しかし人びとは、死者の復活の話を聞いてもあざ笑いました。
(使途言行録 17:28-29、テサロニケの信徒への手紙一 1:9-10、 4:14、コロサイの信徒への手紙 3:1、ヨハネによる福音書 4:23-24、コリントの信徒への手紙一 10:14)

神は遍在し、全知全能である――この偉大なる“真理”は完全であることを理解しなさい。すべての生きとし生けるものは神によって創造されたものであり、神のみがその中で生きていることを知りなさい。神は遍在されているので、“ご自身の創造物”から離れて生きることはできないのです。
(詩篇 139:7-12、イザヤ書 45:21-22、ヨハネによる福音書 14:6、コリントの信徒への手紙一 8:6、使徒言行録 17:28、コロサイの信徒への手紙 1:16-17)

もし神の創造物が何らかの点で神から分離されているとしたら、神は本質的に無限ではなくなり、神 “ご自身”が完全ではなくなってしまいます。すべての創造物は、すべての働きを調和させ、“神の神聖な性質”を引き出す“愛”という基本原理によって創造されました。人がこの“真理”に気づくとき、人はその完璧な“神性”の反映を自らの中に生み出し、それによって“地”に“天国” がもたらされます。
(ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネによる福音書 14:20-21、コロサイの信徒への手紙二 1:17、創世記 1:26-27、詩篇 139:13-14、コリントの信徒への手紙二 5:17)

人びとは死者の復活のことを聞き、あざ笑いました。しかし、生きている“宇宙”の中に、どうして死んでいるものが存在し得るのでしょうか。“永遠なる生ける神”の中に、どうして死んでいるものが存在し得るのでしょうか。至るところに変化が起きていますが、その変化の中に死はありません。すべての微粒子は、ある形から別の形に変化する生きた粒子です。無智な者が見るのは死であり、悟った者が見るのは“命”の営みです。無智な者は、ある状態から別の状態に変化していく移り変わりの法則を理解していないので、自分の心の中に死と呼ばれる幻影を創り出してしまいます。
(ヨハネによる福音書11:25-26、コロサイの信徒への手紙1:17、コリントの信徒への手紙二 5:1-10、知恵の書 3:1-8、ヨハネの黙示録 21:1-4)