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母マリアに抱かれた“神の子”の象徴は、すべての幼子の中に生まれてくる“キリスト”の象徴に他なりません。“父”が一人ひとりの中に個別の人格となっているのです。このようにして、“永遠の神の子であるキリスト”が地上の“命”に誕生していることを現しているのです。
(ルカによる福音書 2:10-11、ヨハネによる福音書 1:1-14、ガラテヤの信徒への手紙 4:19、マタイによる福音書 18:5、コリントの信徒への手紙二 5:17、イザヤ書 9:6)

あなたたちの周りを見渡し、お互いを見つめ合い、「あなたはどこから来たのですか」と尋ねてみなさい。父のみがご存知なのです。
(創世記 2:7、ヨブ記 1:7、2:2、38:4、詩篇 139:13-16、ヨハネによる福音書 1:1-3、19:9、10:27-30、コリントの信徒への手紙一 8:6)

“油注ぎ”(聖別、洗礼)とは、神に生命・生活を捧げるということです。そうすることによって、“神のみによって造られた神殿” (体)の中で、“キリスト”が目覚めるのです。
(創世記 28:18、31:13、35:14、出エジプト記 29:1-9、40:9-16、レビ記 21:1-12、サムエル記上 16:1-13、ヨハネによる福音書 1:41、2:19-22、3:5-6、コリントの信徒への手紙一 3:16-17、ヘブライ人への手紙 10:19-22 )

あなたたちの悟りの程度によって、あなたたちに“キリスト”が現れています。あなたたちはそれに応じて生命・生活・生涯を神に捧げるのです。
(ヨハネの福音書 15:4-5、ガラテヤ人への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙二 13:5、ローマの信徒への手紙 12:1 、フィリピの信徒への手紙 1:21、イザヤ書 6:8、42:1-9)

そのとき、誘惑が来ます。誘惑は、“キリスト”が克服するために世に存在したのです。「“わたし”はすでに世に勝っている」
(ヨハネによる福音書 16:33、ヘブライ人への手紙 4:15、マタイによる福音書 4:1-11、創世記 3:1-7、ヨブ記 1:1-22)

磔(はりつけ)が意味することは、すべての人が十字架に懸けられるということです。人はすべて、それぞれのゲッセマネの門を通過しなければなりません。ある人はある道を通じ、別な人は別な道を通じ、通過しなければなりません。このように、あなたたちは自らの経験によって清められていくのです。
(マタイによる福音書 26:36-46、マルコによる福音書 14:27-46、ルカによる福音書 9:23、ヨハネによる福音書 18:1-14、ローマの信徒への手紙 5:3-5、ヤコブの手紙 1:2-4、ヨブ記 1:1-22、出エジプト記 14:1-31)

すべての経験の中で最も偉大なものは、自分の生命を十字架に捧げることによって、再びそれを受け取ることでした。それは自分のためではなく、生きとし生ける者、全ての人のためでした。「“わたし”を信じる者は決して死なない」のです。すでに彼らは “永遠の命”の秘密を探し当てているからです。
(ヨハネによる福音書 3:16、10:17-18、11:25-26、マタイによる福音書 16:25、ヘブライ人への手紙 2:9、ヨハネの黙示録 21:4)

そして復活が訪れます。この死すべき肉体から離れた魂の復活です。“キリスト”とは肉体の中に現れている“神の霊”のことであり、昇天とは、この神の霊の“実在”を真実に悟り、“永遠なるキリスト”を実現することです。
(コリントの信徒への手紙一 15:35-58、ヨハネによる福音書 1:1,14、14:1-3、ルカによる福音書 24:39、詩篇 16:10、ルカによる福音書 24:50-53、使徒言行録1:9-11)

“キリスト”はあなたたちの内にあり、外から来るものは何の役にも立ちません。一人の魂の進化が全人類を高めます、それは全人類が一つになるためです。
(ヨハネによる福音書 17:21-23、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、3:28、使徒言行録 17:26-28)

過去も未来もなく、唯一の今があるのみである――このような時間に対する完全な理解は、過去のすべてのまちがった考えや引きずってきた不調和を取り除くでしょう。人が行う善のみが生命力をもっているのです。ゆえに、無智や罪、また過去の物事に囚われることはやめなさい。

(マタイによる福音書 6:25-34、コリントの信徒への手紙二 5:17、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、4:6-7、ヤコブの手紙 1:17、ヨハネの手紙一 3:18、イザヤ書 43:18-19)