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ほとんどの人びとは死という体験を恐れています。しかしこの体験を通過してしまうと、自分は生きて呼吸をしており、しかも以前よりも生き生きと呼吸をしている魂であることに気づきます。なぜなら呼吸をしているのは魂であり、肉体ではないからです。

死は神の中で成長し花を咲かせる“キリスト”の、より大きな展開への入口に過ぎません。生前よりも生き生きとした魂として自分が生きていることに気づくとき、それはあなたたちを圧倒します。そのときただ一つ願うことは、愛する人びとのところに戻り、自分が発見した栄光のすばらしい真実を伝えたいということです。

多くの人びとがあなたたちのもとに戻ってきたのですが、あなたたちの耳は聞こえず、あなたたちの目は見えないのです。すべての人が同じ経験をしなければなりませんが、すでに死と呼ばれる体験をした人びとにとってこれは喜びなのです。すべての人びとが経験するこの喜びは、死すべき肉体感覚の理解を超えています。

魂は肉体を超えて呼吸しますので、 “命”の自由自在性をよりいっそう意識するようになります。

身体は“霊の神殿”です。“霊の命”は永遠です。あなたたちは、自分が真実だと思ったことが、すべて現実になることを発見します。(コリントの信徒への手紙一3章16節)

あなたたちは心(想念)の中で、愛する人たちと再会し、顔と顔を合わせ、理解し合う経験を思い描いてきました。わたしは真実を告げますが、それは本当に実現するのです。あなたたちを傷つけた人たちや、あなたたちの無智から傷つけてしまった人たちでさえ、あなたたちと再会することを心から喜ぶでしょう。

これは永遠なる“霊の法則”であり、“キリスト”の展開です。意識がこの内なる“命”を自覚するにつれて、意識の中にある変化が生じます。そして、それらの憎しみはすべて消えてしまいます。賢明なのは、地上にいる間にこのことを理解しておくことです。

無智に生まれ、無智に終わる人びともいます。しかしもはや、そのような運命を辿る必要はありません。霧は消え去り、“神のキリスト”(the Christ of God)の美しさだけが残ります。

わたしが“神のキリスト”について語るとき、あなたたちが“キリスト”の意味を理解し始めていることが、わたしにはわかります。“神のキリスト”とは、大いなる“神聖な神の人”(Divine Man of God)です。“キリスト”はすべての人びとの魂を内包している“地上の神人”です。一つの身体の中に細胞が存在しているように、あなたたち一人ひとりも“神のキリスト”の中に存在しています。“神の種”があなたたちの内にあり、必ず成長し、成熟するのです。

漠然と真実であろうと考えていたことが“現実”になったとき、これ以上はないほどの喜びを感じることがあります。何も失わずに新たな理解を得たことで、すべてが得られたと感じることができます。