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あらゆる小川が海に向かって流れているように、形あるものはすべて、その発生の根源である“愛”という人智を超えた海に向かって流れているのです。

“普遍なるもの”(宇宙)と個(個人)は一つです。このことが分かると、個の成長の源泉である無限の“命”(大宇宙の“命”)は個の内にあり、それが個を進化させているということに目覚めます。あなたたちがこれを自覚するや否や、あなたたち自身の霊的進化が始まります。

“キリスト”とは、神の内に完成された人間であり、人間の内なる神です。“キリスト”こそが完成された存在です。神のすべての強大な力が“キリスト”を通して現れます。天においても地においても、ありとあらゆるすべての“力”がキリストに授けられたのです。“キリスト”はご自身で完全であり、父の子として、父のすべての属性を携えています。すなわち、父の“命”が子に授けられ、子はその“命”を現しているのです。

父こそ唯一の存在です。ご自身の創造されたものの内におられる父です。何ものにも依存しない独立した存在でありながら、創造されたものから決して分離することはなく、本質的に不可分な全体でありながら、多の中で完全であり、実質です。

感覚を通して物事を観察するとき、触れたり感じたりすることができるものをあなたたちは本物と言いますが、それらは実在の影に過ぎません。“実在”とは内側にあるものであり、目に見えないものです。実質は内なるものであり、外なるものは影です。

真理に対する無智から、地上に多くの苦悩が生じてきました。“真理”がすべての人びとに理解されるとき、人びとは“霊”を見つめるでしょう。“霊”こそが“実在”であり、外なる世界は内なる世界の現れでしかなく、内なる世界がなければ外なる世界は存在しないのです。

「“わたし”は“命”である」という言葉の意味に目覚めるためには、まず、「神は“命”であり、“命”は神である」ことが理解されなければなりません。そうすれば、「“わたし”は“命”である」という表現によって、自分が何を言っているのかがわかり、「“わたし”は“命”である」という言葉の意味を理解することができます。

“わたし”は“命”です。この言葉は真実であり、理解されれば、その表現にはとてつもない力があります。

“わたし”は神を中核とする“命”であり、万生万物を貫いて“愛”と“癒やし”と“智性”の光を放射しています。

この“智性”は活動的であり決して静止することはありません。常に“父のご意志”を表現しています。もし意識がこれに気づかない場合、それは外界の事象に彷徨い、それを理解しない想念に幻想が生じます。