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人類の身体は、“神の霊”の美しい衣となります。救いは一部のものではなく人類全体のものであることを告げるために、わたしはあなたたちのところに再びやって来ます。そのために“わたし”はあなたたちの中で働いているのです。

空には新たなエルサレムの到来を告げる徴(しるし)が現れています。(ヨハネの黙示録3章12節、21章10節)

天界のすべての動きは“絶対者”の思考の現れです。あなたたちもまた“絶対者”の思考なのです。ゆえに、あなたたちは“絶対者の愛と癒やし”を現さなければなりません。

おそらくあなたたちは、“考える”ということの真の意味を誤解してきたのでしょう。

“考える”とは知的な概念やイメージではありません。それらは心(想念)を介して自らの進路を探し出すものです。

“思考”は思考する者の直接の表現であり、決して思考する者から切り離されることはありません。思考というものは、すべての形体と表現の背後にある創造過程です。

あなたたちが心(想念)の中で何らかの考えを抱いているとき、あなたたちはそれについていろいろと考えを巡らします。それは、あなたたち自身の外部にある何かを見つめていることになります。“実在”は思考の背後にあり、本当の思考とは外部からの影響を受けない思考のことです。これが思考者(“キリスト”)の本当の表現です。“わたし”の癒やしの思いはあなたたちへと向かい、その使命を果たします。

大自然における無数の形態をもつすべての世界は、無限者の中に、無限者によって表現された思考です。

外側からどのように見ようとも、“愛”は神のすべての創造物の背後にある“力”です。被造物に授けられている神の本性は、すべてが存在している“愛という中心の貯蔵源”に向かって進んでいます。

“大自然”の全貌を理解するとき、 “神の霊”の現れが見えてきます。それは鉱物、植物、動物、そして人間における “神の霊”の現れです。“キリスト意識”とは、“霊”がすべてのすべてであるという認識、人の内なる“神の意識”のことであり、それを自覚することです。“わたし”は神の子であり、地上の誰も“わたし”の父ではありません。天におられる父のみが“わたし”の父です。