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罪とは、感覚につながっている外側の自我による大いなる虚偽(錯覚)であり、分離と混沌に属するものです。

(出エジプト記 20:1-17、レビ記 4:1-35、詩篇 51:1-12、ヨハネによる福音書 3:16、ローマの信徒への手紙 3:23、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヨハネの黙示録 5:6、12:9、7:9-17、13:1-10、20:10、21:1-4)

多くの人びとが世の罪について説いていますが、わたしはこの罪というものを、あまり長く見つめすぎないようにと言いました。いつまでも罪を凝視していて、どうして“キリスト”を見ることができるのでしょうか。

(詩篇 32:5、51:1-20、イザヤ書 1:17-19、ヨハネによる福音書 3:16、8:11、ローマの信徒への手紙 6:14、コリントの信徒への手紙二 5:17)

あなたたちの自己の内なる“キリスト”に目を向ければ、頭と心の中にある分離、混乱、罪は溶け去ります。

(ヨハネによる福音書 1:1-14、3:16、8:12、10:10、14:6、15:5、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヨハネの黙示録 3:20、12:10、21:3-4)

ゆえに、あなたたちを地獄に引きずり込もうとする者には耳を貸さず、あなたたちの内に宿り給う“キリスト”の栄光にあなたたちを引き上げる者に耳を傾けなさい。“天国”こそ“キリスト”の住まいであり、“キリスト”の王国は、まさに今、あなたたちの中にあるのです。

(マタイによる福音書 6:24、ヨハネによる福音書 10:10、14:6、コリントの信徒への手紙二 5:17、ガラテヤ人への手紙 2:20、ヨハネの黙示録 21:3-4)

肉体を超えた多くの人びとは、肉と血は高次元の領域には入らないことをよく知っています。けれども同時に、自分たちが肉体の中で生きていた者と同じであることを知っています。

(コリントの信徒への手紙一 15:35-58、ヨハネによる福音書 11:25-26、歴代誌上 29:15、詩篇 90:10、伝道の書 12:7)

“キリスト”はあなたたちの内に住まわれています。あなたたちの理解がより高いものへと紐解かれていけば、この“キリスト”はあなたたちの理解度に従い、栄光をもって現れます。

(ヨハネによる福音書 14:23、17:22-23、コリントの信徒への手紙二 13:5、ペトロの手紙一 4:11、マタイによる福音書 5:14-16)

あなたたちが神に知られているように、自己を意識的に知るとき、あなたたちは心の中で、“事終わりぬ”と宣言するでしょう。※ しかし、分離と混乱は、あなたたちの中に闇の王国を築き上げようとしたのです。

(ヨハネによる福音書 14:6、17:21-23、19:30、コリントの信徒への手紙二 5:17、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、創世記 3:1-7)

※ しかし、神からの分離は幻想です。現実にはあなたたちは神と一つです。常にそうであつたのです。

“わたし”は“世の光”です。このすべてに行きわたる“内なる光”は、あなたたちの天国を観じる内なる視覚が開発されるにつれて見えるようになります。

(ヨハネによる福音書 1:9、3:19-21、8:12、12:46、マタイによる福音書 5:14)

内なるものは外なるものとなり、外なるものは内なるものとなります。あなたたちが心の中で感じるものは、外側にも表現されるのです。

(マタイによる福音書 12:34-35、箴言 4:23、コリントの信徒への手紙二 4:16、ヤコブの手紙 3:2-12、ヨハネによる福音書 15:1-8)

実現するのは、あなたたちのハートの中で生きている“言葉”です。ゆえに、まず“天の国”を求めなさい。そうすれば、それに加えて他のすべてが与えられます。まず、“神の意識”という強大な“力”を求め、それがあなたたちの意識になるようにしなさい。神は“無限”であり、“唯一なる意識”であり、 “神の意識”があなたたちの中に“キリスト”として現れるのです。

(マタイによる福音書 6:33、ヨハネによる福音書 1:1-14、14:20、コリントの信徒への手紙二 13:5)