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わたし自らが語っているのではなく、わたしの中に常に留まり給う父なる神、万生万物の父であり、万生万物である御方が語っておられるのです。“わたし”の内におられ、“わたし”のために語られる御方です。父の中にあるのと同じ“命”が、子の中にもあるのです。(ヨハネによる福音書10章30節、14章9-10節、17章21節)

あなたたちの心(想念)からパーソナリティの感覚を追い出しなさい。そうすれば神の栄光、永遠に君臨する神の独り子を見るでしょう。
(パーソナリティ=個性、性格、思考と行動の準拠枠、自己観・価値観・経験則、等々として説明されるが “真我”ではなく“現象としての我”であり “偽我”とされる)

パーソナリティとは外側からつけられた仮面(マスク)に過ぎません。パーソナリティにしがみつく限り、幻想の中に生きることになります。

多くの人がイエスのパーソナリティにこだわり、その結果、すべての人びとの内にある“永遠なるキリスト”を見いだすことができなくなっています。それを告げるために“わたし”は来たのです。かくてあなたたちは、“神のキリスト”が普遍的なものであることを知ることができます。

あなたたちの仕事はあらゆる方法で癒やしの媒体となるように、キリストに協力することです。

“霊”こそが唯一の“実在”であることに目覚めなさい。この“霊”が、あなたたちの魂と肉体に生命力を与えています。また、存在する唯一の“力”です。あなたたちは神の中で生き、動き、存在しています。そうして神は、あなたたちの中に生きておられます。神が、神ご自身を表現されておられるのです。この事実を完全に知るということが、今の今、解脱を得るということです。これこそが「永遠の“命”の真理」への道です。「わたしは父のうちにあり、父はわたしのうちにおられることを、あなたは知らないのか」(ヨハネによる福音書14:10)

神の赦しは自然に生じる不可逆的なものであり、神の“永遠の愛”の流入によって、すべての過ちが瞬時に消し去られます。ゆえに、後悔や悲しみ、自責の念によって、神の“神聖な贈り物”を妨げてはなりません。

このことを理解すると、“神の愛”はそのために開かれた心(ハート)の中に流入し、やがてそれは肉体に現象化します。もしあなたたちが後悔し、悲しんでいるならば、心(想念)は影で満たされています。しかし“神の愛”があなたたちを満たすとき、影の入る余地はなく、消え去ってしまいます。

そのための唯一の条件は、あなたたち自身を神に明け渡し、全托することです。そうすることによって、神はご自身の“永遠の愛”であなたたちを満たしてくださるのです。

喜びなさい、あなたたちの報いは天において増えるからです。天とはあなたたち自身の外にある場所ではありません。天はあなたたちの中にあり、この報いはあなたたちの中で増えていくのです。あなたたちの報いは直ちにあり、あなたたちと共に永遠に増えていくのです。