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“わたし”が語っていることをよく勉強すれば、あなたたちの目からベールが取り除かれるでしょう。 “人の子”(キリスト)は、あなたたちが「分離はある」という信念を克服することを、あなたたちに寄り添いながら待っているのです。

“キリスト”には自由があります。しかし“キリスト”は、神の“永遠の独り子”として人類の中に生きています。この強大な“力”がすべての存在を“一つの家族”として調和させます。それぞれすべての魂の内なる“霊”は、その“存在の源”を認識することになります。

この認識の中に自由があります。内なるものが外なるものに現れます。これが「御心が天になるごとく、地にもなりますように」ということです。(マタイによる福音書6章10節)

人は人によって、何度も何度も傷つけられます。人は自分自身の愚かさによって十字架にかけられるまでは、“神のキリスト”による大いなる“絶対合一”性に目を開くことはありません。

わたし自らが語っているのではなく、わたしの中に常に留まり給う父なる神、万生万物の父であり、万生万物である御方が語っておられるのです。“わたし”の内におられ、“わたし”のために語られる御方です。父の中にあるのと同じ“命”が、子の中にもあるのです。(ヨハネによる福音書10章30節、14章9-10節、17章21節)

あなたたちの心(想念)からパーソナリティの感覚を追い出しなさい。そうすれば神の栄光、永遠に君臨する神の独り子を見るでしょう。
(パーソナリティ=個性、性格、思考と行動の準拠枠、自己観・価値観・経験則、等々として説明されるが “真我”ではなく“現象としての我”であり “偽我”とされる)

パーソナリティとは外側からつけられた仮面(マスク)に過ぎません。パーソナリティにしがみつく限り、幻想の中に生きることになります。

多くの人がイエスのパーソナリティにこだわり、その結果、すべての人びとの内にある“永遠なるキリスト”を見いだすことができなくなっています。それを告げるために“わたし”は来たのです。かくてあなたたちは、“神のキリスト”が普遍的なものであることを知ることができます。

あなたたちの仕事はあらゆる方法で癒やしの媒体となるように、キリストに協力することです。

“霊”こそが唯一の“実在”であることに目覚めなさい。この“霊”が、あなたたちの魂と肉体に生命力を与えています。また、存在する唯一の“力”です。あなたたちは神の中で生き、動き、存在しています。そうして神は、あなたたちの中に生きておられます。神が、神ご自身を表現されておられるのです。この事実を完全に知るということが、今の今、解脱を得るということです。これこそが「永遠の“命”の真理」への道です。「わたしは父のうちにあり、父はわたしのうちにおられることを、あなたは知らないのか」(ヨハネによる福音書14:10)