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“キリスト”は決して死すべき感覚や外界の事物に反応して語ることはありません。“キリスト”は常に神から語ります。あなたたちもこれを学ばなければいけません。そうすることによって外界を静めることができます。沈黙のうちに語られる静かな声は、人の手ではなく“神ご自身”によって造られた“神殿(身体)”の内から現れるのです。

(詩篇 46:10、ヨハネによる福音書 8:28、14:23、列王記上 19:12-13、コリントの信徒への手紙一3章16節、コリントの信徒への手紙二 5:1、ヘブライ人への手紙 1:1-2、ハバクク書 2:20、ヨハネの黙示録 1:10-12、5:1-7)

ぶどうの枝がよい実を結ぶように、父はぶどうの木の中で働かれています。 “わたし”につながり、“わたし”がつながっている人びとは、豊かな実を結びます。

(ヨハネ福音書 15:1-8、ローマの信徒への手紙 8:28、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-24、詩篇 1:3、85:8、イザヤ書 27:8-9、ヘブライ人への手紙 12:5-6)

あなたたちが“わたし”にとどまり、“わたし”の言葉があなたたちの内に常にあるならば、あなたたちの望むものは何でも叶えられます。

(ヨハネ福音書 15:7、ヤコブの手紙 4:2-3、マタイ福音書 6:5-15、7:7-8、詩篇 37:4、ヨハネの手紙一 5:14-15、マルコ福音書 11:24)

あなたたちは、わたしが語ったことの重大な意味をまだ理解していません。“キリスト”は決して懇願せず、要求もせず、命令もしません。ただ現れるだけなのです。なぜなら、“キリスト”は御業を成されるのは“父”であることをご存知だからです。

(ヨハネ福音書 5:19-30、10:37-38、14:10,31、フィリピの信徒への手紙 2:5-11、マタイ福音書 20:25-28、ヨハネの黙示録 1:1-3、ヨハネの黙示録 22:8-10)

“父”がご自身の内に“命”を持たれているがゆえに、“子”も自らの内に“命”を持っているのです。“父”は今、ご自身の内にある永遠の“命”を、“子”にも永遠に与えているのです。“父”の内にあるまさにその“命”が、“子”の内にある“命”なのです。

(ヨハネ福音書 1:1-4、5:26、10:30、コロサイの信徒への手紙 1:15-16、ヘブライ人への手紙 1:3)

このようにしてあなたたちは豊かな実を結び、“わたし”の弟子となり、“父”の栄光を讃えるのです。

(ヨハネ福音書 12:26、15:8、マタイ福音書 5:16、コロサイの信徒への手紙 1:10ヤコブの手紙 1:25、ペトロの手紙一 2:12)

父が“わたし”を愛されたように、“わたし”もあなたたちを愛しています。それはあなたたちがこの“愛”の内に留まるようにするためです。

(ヨハネ福音書 15:9-10、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、ヨハネの手紙一 4:7-21、コリントの信徒への手紙一 13:4-8、マタイ福音書 22:37-39)

“わたしの愛”に留まるということは、すべての幸福の秘訣です。それがなければあなたたちの人生は不毛です。

(ヨハネ福音書 15:10-11、詩篇 16:11、23:1-6、37:4、ヨハネの手紙一 4:16、箴言 3:5-6、ヤコブの手紙 1:2-4、マタイ福音書 6:33)

“キリスト”が心の内に宿るとき、そこには “愛と叡智”そして“力”があり、あなたたちを悩ますものは消え去ります。“キリスト”はすべてに打ち勝つからです。

(ヨハネ福音書 14:23,27、ヨハネの手紙一 4:4、コリントの信徒への手紙二 3:5-6、ヤコブの手紙 1:2-4、詩篇 46:1、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、マタイ福音書 6:25-34、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:1-5)

これによって、あなたたちの喜びは満ち溢れるでしょう。あなたたちが“わたし”を選んだのではなく、“わたし”があなたたちを選んだのです。

(ヨハネ福音書 15:9-11,16、エペソの信徒への手紙 1:4-5、イザヤ書 61:1-3、詩篇 16:11 、ペトロの手紙一 1:8-9、ローマの信徒への手紙 8:28-30、ヨハネの黙示録 17:14、21:7、22:14)