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石や岩ですら“神の創造”の驚異です。露のしずくの一滴一滴も“神の法則”に従い、“神の永遠の目的”を果たしているのです。

(詩篇 19:1-4、104:24、139:13-14、ヨブ記 38:4-6,16-17、イザヤ書 55:10-11、箴言 3:19、マタイによる福音書 6:28-30、ローマの信徒への手紙 1:20)

初めにあった“言葉”に心を開くにつれて、あなたたちはより高度な法則を理解し、それらと調和していくようになります。

(ヨハネによる福音書 1:1-4、8:12、10-13、詩篇 1:2、119:105、コロサイの信徒への手紙 3:16、ローマの信徒への手紙 12:2、ヘブライ人への手紙 4:12、マタイによる福音書 7:24-27、箴言 30:5)

あなたたちはまちがいを犯しはしますが、それらは自分を助ける経験になるのです。恐れてはいけません。過去を悔やんでもいけません。強大なる“永遠の愛”があらゆる場所で、いま現れようとしていることを知りなさい。

(ローマの信徒への手紙 8:28、イザヤ書 43:18-19、箴言 16:3、ヨハネによる福音書
3:16、ヨハネの手紙一 4:18、詩篇 34:4、46:1-3、103:10、コリントの信徒への手紙一 10:12-13)

“わたし”は人の内なる“光”です。“わたし”に従う者は暗闇を歩むことはありません。“わたし”は“世の光”なのです。

(ヨハネによる福音書 1:4-9、8:12、14:6、マタイによる福音書 5:14-16、箴言 6:23、イザヤ書 9:2、詩篇 27:1、119:105)

“わたし” は“父の栄光”のすべてをあなたたちに明らかにします。“わたし”が来たのはそのためです。

(ヨハネによる福音書 1:14,18、9-10、10:7、14:6-9、16:12-15、17:5-6、18:37、コロサイの信徒への手紙 1:15、テモテへの手紙一 2:5、ヘブライ人への手紙 1:3)

パリサイ人たちは言いました。「あなたは自分自身について証言をしているが、その証言は真実ではない」。

(ヨハネによる福音書 5:31,36-37、8:13-14,18、申命記 18:15-19、エゼキエル書 13:7-9、マタイによる福音書 7:15-20、ヨハネの手紙一 4:1、コリントの信徒への手紙一 14:29、詩篇 27:1)

彼らは“神の霊”を知らず、“わたし”がどこから来てどこへ行くのかも知りませんでした。 “わたし” は自分がどこから来てどこへ行くのかを知っていました。

(ヨハネによる福音書 3:13、7:28-29、8:14、13:3、14:6,10、16:28、フィリピの信徒への手紙 2:5-11、ヘブライ人への手紙 1:1-14)

“わたし”は神から来たことを知っていました。神が“わたし”をこの世に遣わせられたことを知っていました。世が“わたし”を否定することを知っていました。しかし、“わたし”を拒むことで、世は“わたし”を受け入れざるを得なくなるのです。あえて言っておきますが、“わたし”を拒むことは、“わたし”を遣わされた“父”を拒むことです。“わたし”は“父の光”であり、人の中で“ご自身”を顕現されている“神の意識”なのです。

(ヨハネによる福音書 1:10-11、3:19、7:7,29、8:14-21,42、10:30、15:18-21、ヨハネの手紙一 2:23、4:9)

人は肉によって裁きますが、“わたし”は誰も裁きません。もし“わたし”が裁くならば、その裁きは真実です。なぜなら“わたし”は一人ではなく、父が“わたし”と共におられるからです。

(ヨハネによる福音書 7:24、8:15-17、14:6、イザヤ書11:3-4、詩篇 82:2、103:10、箴言 16:3、マタイによる福音書 7:1-2、ローマの信徒への手紙 2:16)

“わたし”は自分自身についての証はしません。 “わたし”を遣わされた“父”が“わたし”の証をされるのです。 “わたし”を受け入れるならば、“わたし”の“父”をも受け入れたことになります。“わたし”と“父”の間に分離はないことに気づきなさい。そうすれば “わたし”のことがわかります。

(ヨハネによる福音書 5:31-32、8:18、10:30、14:9-11,23、17:21、ヨハネの手紙一 4:15、コリントの信徒への手紙一 2:10-11)