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わたしたちは皆、同じ“命”です。“命”そのものが異なることはできないからです。姿形には“命”が表現されるさまざまな程度がありますが、“命”そのものは非人格的なものであり、“命”自身が創造した形を通じて“自己自身”を表現しているのです。

(ヨハネによる福音書 1:4、10:30、使徒言行録 17:28、コロサイの信徒への手紙 3:10、創世記 1:27、2:7)

無限なる“父”の強大な知性は、“父”ご自身の表現のためにありとあらゆる形態を創造されました。 “命”は一つであり、“唯一の源”から流れ出ますが、創造されたすべての形を通じて流れています。極小のものから極大のものまで、あらゆる形態の中に現れています。“命”は、“命”が創造したすべての形態の中に自己を現しているのです。

(創世記 1:1-31、ヨハネによる福音書 1:3-4、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、詩篇 104:24、139:7-16、使徒言行録 17:28)

“命”である“霊”によらないで存在するようになったものは何一つありません。“命”の(顕現の)程度は、“命”に気づき、“命”を現すことによって理解されます。“ご自身”に似せてわたしたちを創造された神は、“わたし”が “命”が神であることに目覚め、“命”を実現した程度に応じて、“わたし”によって“ご自身”を現されます。

(創世記 1:26-27、2:7、ヨハネ福音書 1:3-4、14:6,20、コリントの信徒への手紙二 3:18、詩篇 104:24)

“命”の秘密は今日でも多くの人びとには隠されたままです。肉から生まれたのではなく、人の意志によってでもなく、“神のキリスト”によって生まれたことを知る者のみに明かされているのです。

(ヨハネによる福音書 1:12-13、3:3-6、ガラテヤ人への手紙 4:6-7,29、ヨハネの黙示録 3:12-14、5:1-10)

ゆえに、“わたし”はその“命”であり、天においても地においても、すべての権能が“わたし”に与えられています。「あなたたちはまず、“神の国と神の義”を求めなさい。そうすれば、求めたものに加えてすべてのものがあなたたちに与えられます」

(マタイによる福音書 6:33、ヨハネによる福音書 14:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、フィリピの信徒への手紙 4:13、詩篇 24:1)

“意識”は、“命”が表現される程度を決定します。“わたし”は自分が“神の命”であることを意識しています。「“わたし”は“神のキリスト”です」「“わたし”は、“わたし”の内で働き給う“父”の真の息子です」。

(ヨハネ福音書 10:30、14:9-11,20、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、4:13、ヨハネの黙示録 1:8,14、5:13、22:13,16、イザヤ書 41:4)

“キリスト意識”は、天においても地においても、すべてを父が支配していることを明らかにします。これこそが真の“キリスト意識”です。

(マタイ福音書 28:18、詩篇 110:1、エフェソの信徒への手紙 1:20-23、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヨハネによる福音書 14:9)

“わたし”がかつて地上に生き、今も生き、さらに世の終わりまでも、あなたたちと共にいるのはこのためです。すなわち、すべての人びとが “キリスト意識” を認識し、実現し、これによってわたしたちが一つになるためです。

(ヨハネ福音書 14:23、17:21-23、マタイによる福音書 28:18-20、ヨハネの手紙 一4:12、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ガラテヤ人への手紙 3:28)

“真理”に目覚め、“真理”を現すことによって、わたしたち全員が一つになれるよう、“わたし”は忍耐強く待っています。あなたたちは、真実については口論をしません。偽りについてのみ口論をするのです。生きている、生活をしているという事実ではなく、自分の信念や考えについてのみ言い争うのです。死すべき運命の人間は、肉の世界から大いなる世界への出口を求めています。そのために、死すべき者は自分自身と言い争うのです。しかし、“キリスト”は決して言い争いません。“キリスト”は知っているからです。ゆえに、真実と偽りを見分けるのはたやすいことなのです。

(ヨハネによる福音書 8:32、14:6、17:21、ヨハネの手紙一 4:16、ローマの信徒への手紙 1:25、マタイ福音書 7:20、詩篇 85:10-11、ヨハネの黙示録 19:6、21:5、22:17)

聖なる言葉は「“わたし”は在る」(I am)です。「“わたし”は『“わたし”は在る』である」(I am that I am.)です。これを理解できる者はほんのわずかでしたが、預言者たちは時代を超えてこの永遠の秘密を知っていました。しかし、すべての人が理解するようになります。なぜなら、“子”が“父”を明らかにすることは“父”の命令であり、それによってすべての者が“父”を知るようになるからです。“わたし”の“父”の御心を行う者は、“わたし”の母であり、“わたし”の姉妹であり、“わたし”の兄弟なのです。

(出エジプト記 3:14、ヨハネ福音書 8:58、ガラテヤの信徒への手紙 4:6、マタイによる福音書 12:50、ヨハネの黙示録 1:8,14、22:13)