講話番号順に表示 新規投稿順に表示

この姿勢は唯一真実で本質的なものであり、あなたたちを死すべき次元から超越させ、“実在”――すなわち“キリスト意識”で活動させるようになります。あなたたちは死すべき感覚から解放され、すべての物事の展開がそれまでとは違ったものとなるのです。

(ヨハネ福音書 3:3、8:32、10:30、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙二5:17、フィリピの信徒への手紙 4:8、コロサイの信徒への手紙 3:10)

あなたたちは自分の外側のものしか意識していないのですか。もしそうならば、あなたたちは依然として死すべき感覚の中に留まっているのです。“わたし”はあなたたちに言いました。唯一の真の理解は、“神の霊”があなたたちの意識を通して現れるものなのです。これは外からではなく、内側からしかやって来ません。

(ルカによる福音書 17:20-21、ヨハネ福音書 7:38、14:16-17、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヨハネの手紙一 4:12、ヨハネの黙示録 2:17、3:12)

人間の“キリスト性”(The Christhood of man)はすでに完成しています。“キリスト”とは、“愛”である神の個の意識のない無我の現れであり、あなたたちの内にあって、すべてを愛しています。なぜなら一切は神だからです。人類はこの “わたし”との一致の中に入らなければならないのです。

(ヨハネ福音書 10:30、14:20、17:21-23、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 4:6,13)

これが“内なるもの”が原因となる外なるものの進化であり、内なるものの真の顕現を、前へ前へ、上へ上へと、常に促しているのです。“外なるもの”は“内なるもの”とならなければならず、“内なるもの”は“外なるもの”とならなければならないのです。

(マタイによる福音書 6:33、23:26、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:16、ルカによる福音書 6:45、ヨハネ福音書 17:3、エフェソの信徒への手紙 3:16)

“キリスト”の栄光が肉体に完全に現れるときがやって来ます。肉体はこれに関して何も関与することはできません。“キリスト”がすべての頂点に立ち、一切を支配するということは、全能者の定めだからです。人の内なる“霊”とは、「永遠に生きる“わたし”」なのです。

(ヨハネによる福音書 1:14、14:6、フィリピの信徒への手紙 2:9-11、コリントの信徒への手紙一 15:22-25、ヨハネの黙示録 1:18、ヨハネの手紙一 4:12)

“キリスト”は神であり、神は“キリスト”です。「“神のキリスト”が“今”、“わたし”の中で働いている」という叡智を得たことを喜びなさい。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:23、コリントの信徒への手紙一 3:16、フィリピの信徒への手紙 2:9-11、コロサイの信徒への手紙 1:27)

この“真理”の自覚の中に生きなさい。そうすればあなたたちの生活の中に、この“真理”が現れます。“勝利者”である“キリスト”があなたたちを自由にするのです。

(ヨハネ福音書 8:32、14:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、ローマの信徒への手紙 8:2、コリントの信徒への手紙二 3:17、ヨハネの黙示録 5:1-14、6:1-8、19:11-16)

あなたたちはこの言葉の意味をまだ十分には理解できていないかも知れません。あなたたちは肉の中に生まれましたが、肉は“霊”の出生については何ら関与できません。あなたたちは“霊”から生まれたのであり、“霊”こそが万生万物を創造する“唯一の創造力”なのです。これが神と共にあった“言葉”、神であった“言葉”、肉となった不滅の“言葉”なのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-14、3:5-8、コリントの信徒への手紙一 15:40,45-50)

いまだかつて神を見た者はいません。しかし神は“わたし”の中で“キリスト”として現れています。誰でも“わたし”を見る者は父を見るのです。

(ヨハネ福音書 1:18、14:9-11、フィリピの信徒への手紙 2:5-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-16、コリントの信徒への手紙二 4:6、ヨハネの黙示録 1:13-18)

神は“ご自身”を分離されることはなく、“ご自身”の内に“ご自身”の似姿を創られました。これが全人類の内にある “光”です。

(創世記 1:26-27、ヨハネによる福音書 1:4-9、8:12、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:6)