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時間は存在しません。 “わたし” はこれまで存在し、今も存在し、今後もずっと存在し続けます。この悟りの中で、あなたたちも“全能者の生ける現れ”であることを忘れてはなりません。なぜなら、“父”は常にあなたたちの中で働いておられるからです。
(ヨハネの福音書 14:10、17:3、ヘブライ人への手紙 13:8、詩篇 90:4、イザヤ書 43:10)

あなたたちの中にある“神聖な力”は、わたしの中にあるものと同じです。あなたたちの意識が大いなる“神の意識”へと開かれていくにつれて、あなたたちは “わたし” を知ることになります。
(ヨハネによる福音書 14:20、コリントの信徒への手紙一 6:17、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙4:6、ヨハネの手紙一 4:16、マタイによる福音書 5:14)

“キリストの声”は恐れを知らず、全能です。“キリスト”は“征服者”であり、今後も打ち勝っていきます。“キリスト”が万生万物を支配することは、“神の法則”だからです。
(フィリピの信徒への手紙 2:9-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、ヨハネの黙示録 17:14、コリントの信徒への手紙二 12:9、詩篇 23:4)

十字架という象徴は、人の中にある“キリスト”が世に打ち勝つということ、すなわち、人の手によって造られたのではない神殿(肉体)の中での覚醒、聖別、荒野での試み(誘惑)、磔刑、復活、昇天を示しています。これこそが“キリスト”であり、“勝利者”です。この各段階についてはすでに説明しているので改めて説明する必要はないでしょう。しかし、もしあなたたちがわたしの言葉を再読するならば、あなたたちの内なる“霊”が、さらなる“真理”を明かすでしょう。
(ヨハネの福音書 2:19-21、14:20、マタイの福音書 4:1-11、マタイの福音書 5:14、28:5-6、ヨハネの黙示録 1:18、2:10、12:11、19:16、21:3-4,22、 22:20、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヨハネの手紙一 4:16)

あなたたちが“キリスト”を展開していくにつれて、“聖霊”はあなたたちの意識に、あなたたちの心の内奥に隠された秘密を明かしていくでしょう。 “わたし” は“命”であり、“真理”であり、“道”です。誰でも “わたし”、すなわち“キリスト”を通してでなければ父の御許に行くことはできません。他に道はありません。いかなる道も決してなかったのです。
(ヨハネによる福音書 14:6,26、コリントの信徒への手紙一 2:10、ヘブライ人への手紙 4:12、マタイによる福音書 6:33、ヨハネの手紙一 4:13、詩篇 139:23)

“キリスト”とは神の“言葉”であり、神であった“言葉”、神と共にあった“言葉”、肉となった“言葉”です。
(ヨハネによる福音書 1:1-14、詩篇 33:6、イザヤ書 55:11、ヨハネによる福音書 1:14、ヘブライ人への手紙 1:1-3)

これが“実在”におけるあなたたちの“真我”であり、“父なる神”が知り給うあなたたちです。あなたたち自身も、自己自身をそのように知らなければならないのです。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:9、17:11,21-23、創世記 1:27、コリントの信徒への手紙一 3:16)

肉の感覚の声は影の声、すなわち分離、制約、病、死を仄(ほの)めかすサタンの声です。神の一人子、すべての父である“キリスト”を堅持しなさい。
(ヨハネの福音書 14:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:16-25、ローマの信徒への手紙 8:5-16)

サタンを恐れてはなりません。恐れるべきものは何一つないからです。あなたたちが言うべきことはただ一つ、「肉の想いであるサタンよ、“わたし”の後ろに下がれ。“わたし”は“人の子”にして“神の子”、“勝利者”である。“わたし”は自分で生きているのではなく、“父”によって生きているのである。“父”は常に“わたし”と共にあり、“わたし”の導き主なのである」。
(マタイの福音書 4:1-11、16:23、ヨハネの福音書 14:10、ローマの信徒への手紙 8:37)

“わたし”がこれらのことを語ったのは、あなたたちが “わたし” の中で安らぎを得るためです。世には試練があります。しかし勇気を持ちなさい。“わたし”は世に打ち克ちました。あなたたちも世に打ち克つのです。
(ヨハネの福音書 14:16-17,26-27、16:33、ローマの信徒への手紙 8:37、ヤコブの手紙 1:12、ヨハネの手紙一 4:18)