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“神の意識”が分割されることはありません。あなたたちは、自分はこの部分である、あの一部分が自分であるなどとは言えません。神は唯一の全体であり、完全である“ご自身”を表現しています。あなたたちは神の中に生き、動き、存在しています。神は、あなたたちの中に生きています。あなたたちの意識は、このことを自覚し、万物を支配する力となるのです。
(ヨハネによる福音書 14:10,20、使徒言行録 17:28、コリントの信徒への手紙一 8:6、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、イザヤ書 43:10、45:22、申命記 6:4)

真剣な祈りは決して無視されません。神はあなたたちが求めなくても、あなたたちが何を必要としているのかをご存知なのです。
(マタイによる福音書 6:5-8、ヨハネによる福音書 14:13-14、ヤコブの手紙 5:16、フィリピの信徒への手紙 4:6、イザヤ書 55:6-7、詩篇 34:12-18)
(講話2:37-38、3:81-93、9:22、12:27-29,76-77、14:16,71,83)

神は“愛”であり、あなたたちは愛に満たされた心で神を崇拝しなければなりません。あなたたちの誰が、 “パン”を欲しがる息子に石を与え、“魚”を欲しがるのに蛇を与えるでしょうか。
(ヨハネの手紙一 4:8、マタイによる福音書 7:9-11、ルカによる福音書 11:11-13、ヨハネによる福音書 3:16、マルコによる福音書 12:30-31、詩篇 103:8-13)

あなたたちが真の“愛”を知らない者であっても、自分の子供に良いものを与えることができるならば、“真の愛”そのものであるあなたたちの“父”は、求める者にどれほど良きものを与えて下さることでしょう。
(マタイによる福音書 7:9-11、ルカによる福音書 11:13、ヨハネによる福音書 3:16、ヨハネの手紙一 3:1、ヤコブの手紙 1:17、イザヤ書 41:10、詩篇 103:8-13)

祈るとき、神は遠くにおられると思っている人がいます。わたしはあなたたちに言っておきます。祈るときは自分の密室に入ってドアを閉め、密かに祈りなさい。あなたたちの父は、密かに聞き入れ、公然と報いて下さるからです。
(マタイによる福音書 6:5-8、詩篇 145:18、ヨハネによる福音書 14:23、15:7、歴代誌下 7:14)

その意味は明らかです。“全能者”はあなたたちの内なる隠された小さな部屋におられるのです。“全能者”はあなたたちから遠く離れているのではなく、あなたたちの内なる“実在”の生ける現れであり、あなたたちの“実在”そのもの、あなたたちの“真我”(Real Self)なのです。
(ヨハネによる福音書 14:17,20、コリントの信徒への手紙一 3:16、使徒言行録 17:28、イザヤ書 43:10、詩篇 139:7-12)

このことを“知った”上で、ひそかに、あなたたちの魂の静けさの中で真剣に祈るとき、あなたたちの求めるものを創り出し、具現化するために、全宇宙が動き出すのです。
(マタイによる福音書 7:7-8、21:22、マルコによる福音書 11:24、ヨハネによる福音書 14:13-14、ヤコブの手紙 1:5-8、詩篇 37:4)

本当の祈りはすべて即座に叶えられます。あなたたちの祈りも即座に叶えられるときがやって来ます。あなたたちは祈りを実修しなければなりません。安らぎのある心で、“ひそかに”、祈りの実修を続けなさい。“すでに得たり”と信じなさい。そうすれば、そのとおりになるのです。
(マタイによる福音書 6:5-8、 21:22、マルコによる福音書 11:24、ヨハネによる福音書 14:13-14、ヤコブの手紙 1:5-8、詩篇 37:4)

あなたたちとわたし、さらに共にいるすべての人びと―― このわたしたちが一つの大いなる統一された無限の全体であり、どんな隔たりもなく、“愛”のみによって結ばれている一つの家族だと理解することはすばらしいことです。
(ヨハネの福音書 17:21-23、ヨハネの手紙一 4:11-12、コリントの信徒への手紙一 12:12-13、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、詩篇 133:1)

おそらく、最初のうちはこのような理解をもつことは難しいでしょう。しかし、あなたたちが“真理の御霊”に心を開いていくにつれて、常にあなたたちと共にある“慰め主”がすべてを明らかにしてくれます。「 “わたし” は慰め主であり、 “わたし” は命です」
(ヨハネによる福音書 10:10-11、 11:25-26、14:16-17,26-27、詩篇 23:1-6)