講話 10 – 51

気づき

次の数年間のうちに、科学上の大きな進歩が世界にもたらされるでしょう。その多くが人類を向上させるものとなりますが、一方では、地球上の人間を傷つけるために使用されるものも少なくありません。

(創世記 6:5-7、11:1-9、申命記 8:17-20、エゼキエル書 28:12-17、マタイによる福音書 24:6-8、詩篇 37:1-2、146:3-4、ローマの信徒への手紙 1:25、ヤコブの手紙 1:2-4、ヨハネの黙示録 5:1-5、13:18、17:9)

講話 10 – 52

気づき

ここでもまた “霊”の導きなしに、すなわち心の清さがないままに、知性が用いられてしまうのです。

(詩篇 51:10、箴言 3:5-6、14:15、イザヤ書 1:16-17、29:13-14、エゼキエル書 36:26、マタイによる福音書 5:8、6:23、コリントの信徒への手紙一 2:14、ヤコブの手紙 3:13-18、ヨハネの黙示録 5:1-5、13:18、17:9)

講話 10 – 53

気づき

世はいぜんとして、“善悪の知識の木”の実を食べ続けています。人類が“命の木”、すなわち内なる“キリスト”をしっかりとつかんだときに、初めて救いが訪れるのです。

(創世記 2:9、3:22-24、ヨハネによる福音書 3:16、15:1-5、イザヤ書 53:5、コリントの信徒への手紙一 1:30、15:20-22、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ヨハネの黙示録 22:1-2)

講話 10 – 54

気づき

これについてはすでに扱ったので、あなたたちの多くが理解しています。善も悪も“実在”ではありません。“実在”は善でも悪でもありません。“実在”はそれ自身で完結しており、完全です。ある人の悪の基準は、他の人の善かも知れません。別の人の善の基準は、その他の人の悪かも知れません。それらは相対的なものであり、人間が考え出したものです。

(創世記 3:5、コヘレトの言葉 7:28、イザヤ書 5:20、マタイによる福音書 7:1-2、ローマの信徒への手紙 2:15、ヤコブの手紙 4:6、ヨハネによる福音書 14:6、コリントの信徒への手紙二 5:21、ヨハネの黙示録 11:15-19、19:11-21、20:11-15、21:1-10,27、22:11)

講話 10 – 55

気づき

さまざまな物事についての自分の考えをよくよく調べてみると、それらは自分自身のものではなく、外部の影響を受けた、相対的なものであることに気づくでしょう。もしそれらを善とか悪と呼んだとしても、それらはあなたたちにとって相対的なものでしかないことがわかるでしょう。あなたたちは、あなたたち自身の内なる“力”によってコントロールされ、導かれていることを知りなさい。その“力”は善でも悪でもなく、“それ自体”が完璧なものなのであり、それが“神のキリスト”なのです。

(ヨハネによる福音書 8:23、14:10、15:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ローマの信徒への手紙 8:9、コリントの信徒への手紙一 2:12、3:18、フィリピの信徒への手紙 4:13、イザヤ書 55:10-11、ヨハネの黙示録 4:8、19:6、21:6)

講話 10 – 56

気づき

善も悪もあなたたちの想いの産物であり、物事に関して、あなたたちが考え出したものです。これが“善悪の知識の木”であり、その実です。無智なまま死ぬことがないように、その実を食べてはなりません。あなたたちが、“命の木”をしっかりとつかんだとき、すなわち、内奥の最も深い認識で“真理”を知覚するとき、それがあなたたちの救いとなるのです。

(創世記 2:17、3:6、ヨハネによる福音書 14:6、ヤコブの手紙 1:14-15、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、箴言 3:5-6、ヨハネの黙示録 22:2)

講話 10 – 57

気づき

あなたたちが“キリスト”を知るならば、あなたたちの心はもはや善悪に悩まされることはなく、あなたたちが神の“愛と叡智と力”を現す“力”となるのです。

(箴言 3:5-6、ヨハネによる福音書 8:12、14:6,27、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 2:16、コリントの信徒への手紙二 5:21、フィリピの信徒への手紙 4:13、使徒言行録 1:8、ヨハネの手紙一 4:16、ヨハネの黙示録 21:1-10)

講話 10 – 58

気づき

“わたし”は世の救いです。誰でも“わたし”を信じる者は永遠に生きます。

(ヨハネによる福音書 3:16、6:40、11:25-26、14:6、コリントの信徒への手紙二 5:21、イザヤ書 53:5-6、ローマの信徒への手紙 6:23、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

講話 10 – 59

気づき

“わたし”は“神の生けるキリスト”です。世を救うために、“父”が“わたし”を世に遣わされたのです。この“キリスト”が内に住まわれているのです。“わたし”の内に住まわれているのと同じ“神の霊”が、あなたたちの内にも住まわれているのです。

(ヨハネによる福音書 3:16、14:6,10,23、コリントの信徒への手紙二 5:21、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 4:13、イザヤ書 53:5-6、ローマの信徒への手紙 8:9、ヨハネの黙示録 1:5-6、21:3、22:17)

講話 10 – 60

気づき

今、わたしの話を聴いている多くの人は、すでにこの地上を離れた人びとです。彼らはかつて、あなたたちと同じ意識で生きていた人びとであり、より精妙な性質の身体をもっている点を除けば、今のあなたたちと同じです。しかしその彼らの身体も、彼らの内なる意識に適応しています。あなたたちの身体はあなたたちに適応しており、“キリスト力”が理解されれば、その指揮どおりに変容するのと同様です。

(フィリピの信徒への手紙 1:23、3:21、コリントの信徒への手紙一 15:44,51-54、ヨハネによる福音書 14:2-3、コリントの信徒への手紙二 5:1-4,8、イザヤ書 25:8、ヨハネの黙示録 7:9-17、21:1-4、22:17)