講話 1 – 1

気づき

神は“愛”であり、“愛”は神です。しかし、“愛”とは何かについては、誰も知りません。わたしたちは、それが存在することのみを知っています。あなたたちは、“愛”とは何かについて、いろいろと理論づけをしてきたかも知れません。しかし、そのようなことは、行ってはならないのです。“真理”は、外部からの示唆なしに紐解かれるべきなのです。また、こういうものだと決めつけてもいけません。そうすることによって、“真理”への道が閉ざされてしまうからです。

(ヨハネによる福音書 3:16、14:6、16:13、マタイによる福音書 22:37-40、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 6:37、ヨハネの手紙一 4:7-21、コリントの信徒への手紙一 2:9、13:1-13、ローマの信徒への手紙 11:33、出エジプト記 3:14、申命記6:4-5、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5、詩編 46:10、139:6-12、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 1 – 2

気づき

“愛”は、全宇宙の中心です。この中心より、たゆまぬ“愛”の流れが、すべての魂、すべての生きとし生けるものを通して流れています。花々を通して、動物を通して、人びとを通して、天使たちを通して、この同じ“愛”が、“宇宙の中心にある泉”から流れ、“愛”の真の本質を、永遠に表現しているのです。

(ヨハネによる福音書 3:16、15:9、マタイによる福音書 5:43-48、22:37-40、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 6:35、ヨハネの手紙一 4:7-8、ローマの信徒への手紙 5:5、8:38-39、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、コロサイの信徒への手紙 1:17、申命記 6:4-5、イザヤ書 43:2、箴言 8:17、詩編 36:7-9、139:7-12、145:9、ヨハネの黙示録 22:1)

講話 1 – 3

気づき

“愛”は、鉱物においては親和力として、花々においては、その本質として、動物においては、その本性として現れています。人間においては、愛情、友情、慈しみ、親しみ、信頼など、人と人を結ぶ絆として現れています。この“愛”を完全に悟ったとき、全存在がその“愛”によって満たされ、すべての肉体細胞が活性化されるのです。

(マタイによる福音書 6:28-30、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 13:34-35、15:1-17、ヨハネの手紙一 4:7-8、ローマの信徒への手紙 5:5、コリントの信徒への手紙一 13:1-13、創世記 1:31、箴言 3:19-20、4:23、詩編 36:9104:24、148:7-10、ヨハネの黙示録 22:1-2)

講話 1 – 4

気づき

世界には、“愛”の他には、どんな力もありません。天においても地においても、“愛”は、唯一の真の“力”です。“愛”は、永遠であり、常在だからです。外なるものは過ぎ去りますが、“愛”は永遠です。 “愛”は、“神の遍在” だからです。

(マタイによる福音書 24:35、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 3:16、ヨハネの手紙一 4:7-8,16、コリントの信徒への手紙一 13:4-8, 13、ローマの信徒への手紙 8:38-39、イザヤ書 40:8、43:2、箴言 10:12、詩編 136:1、139:7-12、ヨハネの黙示録 21:6)

講話 1 – 5

気づき

“愛”とは何かを論じることは、“愛”の一側面でしかない、知的な側面での議論にすぎません。“愛”とは何かを理論化することは、“愛”の力を失わせてしまいます。あなたたちは、“無限の命”である“愛”によって、創造されたのです。“愛”とは何かをこのように理解し、悟ったとき、真の“愛”の本質が現れるのです。

(マタイによる福音書 22:37-39、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 3:16、4:24、コリントの信徒への手紙一 2:11、13:1-2、ヨハネの手紙一 4:7-8,16、申命記 6:4-5、箴言 3:5-6、16:9、詩編 36:9、139:7-12、ヨハネの黙示録 22:1-2)

講話 1 – 6

気づき

地上のすべての偉大な魂は、世界の至る所で、さまざまなやり方によって、この“愛”を現しているのです。

(マタイによる福音書 5:14、22:36-40、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、ヨハネによる福音書 3:16、13:34-35、ヨハネの手紙一 4:7-8、コリントの信徒への手紙一 12:4-7、13:1-13、ローマの信徒への手紙 12:6-8、ヤコブの手紙 2:14-26、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、箴言 3:27、11:24-25、詩編 145:9、ヨハネの黙示録 7:9)

講話 1 – 7

気づき

“真理”とは何かについて、さまざまな示唆が、外からやってきます。しかし、外から来る示唆によって、“真理”を理解することはできません。ゆえに、“真理”に関しては、どのような決めつけも行ってはなりません。 “真理”は測りがたく、永遠なるものだからです。“わたし”は常在であり、 “永遠なる神性”を現しているのです。

(マタイによる福音書 7:15-20、マルコによる福音書 13:31、ルカによる福音書 17:20-21、ヨハネによる福音書 8:31-32、14:6,26、 16:13、コリントの信徒への手紙一 2:10-13、コリントの信徒への手紙二 13:5、ヨハネの手紙一 4:1、5:20、ローマの信徒への手紙 11:33、箴言 3:5-6、詩編 119:160、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

講話 1 – 8

気づき

あなたたちは、これを受け入れなければなりません。しかし、それが何であるとか、何ではない、というような結論を出してはなりません。

(マタイによる福音書 7:7-8、マルコによる福音書 13:32、ルカによる福音書 10:21、ヨハネによる福音書 7:24、14:27、16:12-13、コロサイの信徒への手紙 2:8、ローマの信徒への手紙 11:33、14:22、コリントの信徒への手紙一 4:5、13:12、ヨブ記 37:5、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5-6、詩編 131:1、139:6、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

講話 1 – 9

気づき

覚えておきなさい、この強大なる力が、あなたたちの中で、紐解かれるのを待っているのです。あなたたちは、その力によって用意された器であり、あなたたちの魂は、その力が流れ出るための媒体なのです。このことを自覚することが、 “神人” (God-man)となる秘密なのです。

(マタイによる福音書 5:14-16、マルコによる福音書 11:23-24、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:10-12、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 2:13、ローマの信徒への手紙 8:29-30、コリントの信徒への手紙一 12:13、コリントの信徒への手紙二 3:16、4:7、エフェソの信徒への手紙 3:20、エレミヤ書 31:33、イザヤ書 43:21、64:8、箴言 20:27、詩編 46:10、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 1 – 10

気づき

空間とは何でしょうか。あなたたちは現在、自分と、自分に影響を及ぼしている心との間の、思考の伝達の速さを学んでいます。これらの思考は、距離というものを全く知らないのです。

(マタイによる福音書 18:20、ヨハネによる福音書 4:24、ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 2:10-11、13:12、使徒言行録 17:27-28、エレミヤ書 23:23-24、イザヤ書 55:8-9、箴言 20:27、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20、21:22)