講話 6 – 101

気づき

ここには、秘められたものは何もありません。いまだかつて、神を見た者はいません。しかし、“父”の懐(ふところ)におられる神の独り子が、神を明かされたのです。

(マタイによる福音書 11:27、マルコによる福音書 12:6、ルカによる福音書 10:22、ヨハネによる福音書 1:18、6:46、14:9、使徒言行録 7:55–56、ローマの信徒への手紙 8:29、コリントの信徒への手紙一 1:24、8:6、コリントの信徒への手紙二 4:6、エフェソの信徒への手紙 1:9、フィリピの信徒への手紙 2:6–7、コロサイの信徒への手紙 1:15、2:9、ヘブライ人への手紙 1:1-3、イザヤ書 7:14、箴言 8:22–30、詩編 2:7、ヨハネの黙示録 1:5、22:1)

講話 6 – 102

気づき

これらの言葉は、理解しない者には不可解に感じられるでしょう。しかし、“父ご自身”が “ご自身”の姿形そのままに、“御子キリスト”を生み給うたのです。このことをあなたたちが理解するにつれて、 “ご自身”が“父”そのものであることを知り給う“キリスト”は、“父”の“栄光と力”、“叡智と愛”のすべてを明かされていくのです。

(マタイによる福音書 11:27、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 10:22、ヨハネによる福音書 1:14,18、10:30、14:9-10、使徒言行録 3:13、ローマの信徒への手紙 8:29、コリントの信徒への手紙一 1:24、コリントの信徒への手紙二 4:4-6、エフェソの信徒への手紙 1:17、フィリピの信徒への手紙 2:6、コロサイの信徒への手紙 1:15、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの手紙一 4:9-10、創世記 1:26-27、イザヤ書 9:6、箴言 8:22–30、詩編 2:7、ヨハネの黙示録 1:5、5:12、21:23、22:1)

講話 6 – 103

気づき

これがあなたたちの内にある豊かで栄光に満ちた“命”であり、あなたたちの魂と体を満たすべきものなのです。なぜなら、“キリスト”は、あなたたちの“命”だからです。

(マタイによる福音書 6:22–23、マルコによる福音書 9:3、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:10、14:6、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:10-11、コリントの信徒への手紙一 15:45、コリントの信徒への手紙二 4:10–11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17–19、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 3:4、創世記 2:7、イザヤ書 58:11、エゼキエル書 36:26–27、ダニエル書 12:3、ゼカリヤ書 2:10–11、ヨブ記 33:4、詩編 36:9、139:13-14、箴言 4:22、ヨハネの黙示録 21:6、 22:1-2)

講話 6 – 104

気づき

“わたし”は、神の外から“命”を引き出したのではありません。“わたし”自身が、すべての魂に宿っている永遠なる“神のキリスト”であることを知っているからです。

(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 8:35、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:1-4、14:20、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:10、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、創世記 1:26-27、イザヤ書 57:15、箴言 8:22-31、20:27、詩編 139:13-16、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)

講話 6 – 105

気づき

“わたし”の“言葉”の意味は、あなたたちの自己の内からのみ理解されます。外からは理解できないのです。

(マタイによる福音書 7:7-8、13:11、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:26、使徒言行録 16:14、17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:9-11、10:8、コリントの信徒への手紙一 2:14、3:16、コリントの信徒への手紙二 3:16、ガラテヤの信徒への手紙 1:12、エフェソの信徒への手紙 1:17、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、詩編 51:6、箴言 20:27、ヨハネの黙示録 3:20、22:17)

講話 6 – 106

気づき

“わたし”がこのような話し方をするのは、あなたたち自身の内で、“わたし”の“言葉”の意味を感じ取るようになるためです。あなたたちは、“わたし”が語ることを説明することはできません。なぜなら、“真理”を説明することなどは、決してできないからです。

(マタイによる福音書 13:13、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 8:10、17:21、ヨハネによる福音書 14:17,26、使徒言行録 8:30-31、17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:16、11:33、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 4:3-4、ガラテヤの信徒への手紙 1:12、エフェソの信徒への手紙 3:16-18、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 1:27、2:2-3、イザヤ書 55:8-9、詩編 51:6、119:18、箴言 2:1-5、20:27、ヨハネの黙示録 2:17、10:4、22:1)

講話 6 – 107

気づき

ある人びとは、「彼は何を言ったのですか」「どのように語ったのですか」と尋ねるでしょう。しかし、“真理”を説明できるでしょうか。説明できるものは“真理”ではありません。“わたし” に耳を傾けることによって、あなたたちは、“真理”を感じるようになるのです。耳を傾ける者にのみ、“真理”は明かされるのです。あなたたちは、 “わたし” を感じ、 “わたし”を知ることになります。「 “わたし” は“真理”」だからです。

(マタイによる福音書 13:10-11,13-15、マルコによる福音書 4:9-11、ルカによる福音書 8:10、ヨハネによる福音書 8:32、14:6、使徒言行録 17:11、ローマの信徒への手紙 10:17、11:33、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 4:3-4、ガラテヤの信徒への手紙 1:12、エフェソの信徒への手紙 1:17–18、フィリピの信徒への手紙 4:7、ヘブライ人への手紙 4:12、ヨハネの手紙一 5:20、イザヤ書 55:3、箴言 3:5-6、20:27、詩編 25:5、51:6、119:18、ヨハネの黙示録 3:20、10:4)

講話 6 – 108

気づき

あなたたちは、知性によって論じてはいけません。知性はその性質上、限界があり、物事を外側から判断するものだからです。“霊”がインスピレーションを通して、すべてを明らかにするのです。

(マタイによる福音書 11:25、16:17、マルコによる福音書 4:11-12、8:17、ヨハネによる福音書 14:26、16:13、使徒言行録 1:2、2:17、ローマの信徒への手紙 8:5-6、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 3:6、ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12、5:16、エフェソの信徒への手紙 1:17、コロサイの信徒への手紙 1:9、2:8、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5-6、詩編 25:14、119:130、ヨハネの黙示録 2:17、10:4、22:17)

講話 6 – 109

気づき

“わたし”があなたたちの内に生きていること、人類は神の永遠なる息子であることを知りなさい。羊は、“羊飼いの声”を聞き分けるのです。

(マタイによる福音書 1:23、7:23、マルコによる福音書 6:34、14:62、ルカによる福音書 12:32、17:21、ヨハネによる福音書 10:27、14:20、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:10,16、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:6、3:17、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネの手紙一 3:2、箴言 8:17、27:23、詩編 23:1–2、100:3、ヨハネの黙示録 7:17)

講話 6 – 110

気づき

人類はいつの日か「成し遂げられた」と言い、一つになるでしょう。“わたし” が彼らの中心にいるからです。“父”は、“子”によってご自身の栄光を輝かせ、すべての人びとが、“わたし”を知るようになるのです。

(マタイによる福音書 18:20、マルコによる福音書 15:37-39、ルカによる福音書 23:46、ヨハネによる福音書 17:21-23、19:30、使徒言行録 2:17、ローマの信徒への手紙 8:19-21,29、コリントの信徒への手紙一 15:24-28、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 1:10、4:4-6、フィリピの信徒への手紙 2:10-11、コロサイの信徒への手紙 3:11、ヘブライ人への手紙 2:10-11、ヨハネの手紙一 3:2、イザヤ書 45:23、箴言 8:31、16:4、詩編 22:28-29、86:9、ヨハネの黙示録 11:15、21:3-4)