講話 6 – 101
気づきここには秘められたものは何もありません。いまだかつて神を見た者はいません。しかし、“父”の懐(ふところ)におられる神の独り子、この方こそが神を公にされたのです。
(ヨハネによる福音書 1:18、14:9、コリントの信徒への手紙二 4:6、ヘブライ人への手紙 1:1-3、コリントの信徒への手紙一 1:24、コロサイの信徒への手紙 1:15、2:9、ヨハネの手紙一 4:15、イザヤ書 7:14、ミカ書 5:2、詩篇 2:7、ダニエル書 9:24)
講話 6 – 102
気づきこれらの言葉は、理解できない者には不可解に感じられるでしょう。しかし、“父ご自身”が “ご自身”の姿形そのままに“御子・キリスト”を生み給うたのです。このことをあなたたちが理解するにつれて、 “ご自身”が“父”そのものであることを知り給う“キリスト”は、“父”の“栄光と力”、“叡智と愛”のすべてを明かされていくのです。
(ヨハネによる福音書 1:18、10:30、14:9、コロサイの信徒への手紙 1:15、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの手紙一 4:8)
講話 6 – 103
気づきこれこそ、あなたたちの中にある完全で豊かな、栄光に満ちた“命”であり、あなたたちの魂と体を満たすべきものです。“キリスト”はあなたたちの“命”なのです。
(ヨハネによる福音書 1:4、10:10、14:6、15:5、コロサイの信徒への手紙 3:4、ローマの信徒への手紙 8:10、エフェソの信徒への手紙 2:4-5、ヨハネの手紙一 5:11、フィリピの信徒への手紙 4:13)
講話 6 – 104
気づき“わたし”は、神の外から“命”を引き出したのではありません。“わたし”自身がすべての魂に宿っている永遠なる“神のキリスト”であることを知っているからです。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:6,10、15:5、コロサイの信徒への手紙 1:15,17、ローマの信徒への手紙 8:10、ヘブライ人への手紙 13:8 、ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
講話 6 – 105
気づき“わたしの言葉”の意味は、あなたたちの自己の内からのみ理解されます。外からは理解できません。
(ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 6:63、7:37、10:10、14:26-27、15:11、箴言 4:23、コリントの信徒への手紙一 2:10-11、エレミヤ書 31:33、マタイによる福音書 11:28、知恵の書 8:10、ヨハネの黙示録 2:17、3:12、22:14)
講話 6 – 106
気づき“わたし”がこのような話し方をするのもそのためです。それによって、あなたたちは自分の中で “わたしの言葉”の意味を感じるようになります。あなたたちは、“わたしの言葉”を説明することはできません。なぜなら、“真理”を言葉で説明することは決してできないからです。
(ヨハネによる福音書 3:12、6:63、7-38、14:17,26、16:12,25、コリントの信徒への手紙一 2:13-14、ローマの信徒への手紙 8:26、箴言 20:27)
講話 6 – 107
気づき「彼は何を言ったのですか」「どう言ったのですか」と問う人がいるでしょう。“真理”を説明できるでしょうか、説明できるものは“真理”ではありません。しかし、 “わたし” に耳を傾けるにつれて、あなたたちは“真理”を感じるようになります。耳を傾ける者にのみ、“真理”は明かされるのです。あなたたちは “わたし” を感じ、 “わたし”がわかるようになります。「 “わたし” は“真理”」だからです。
(ヨハネによる福音書 8:32、14:6,26、16:8、17:17、18:37、ローマの信徒への手紙 1:20、ヨハネの手紙一 5:6)
講話 6 – 108
気づき知性で判断してはいけません。知性は本質的に制約されており、それは物事を外から判断します。“霊”はインスピレーションによって、あなたたちに物事のすべてを明らかにします。
(コリントの信徒への手紙一 2:14-15、箴言 3:5、ヨハネの手紙一 4:1、ヨハネによる福音書 14:26、16:13、エレミヤ書 31:33 、詩篇 119:105、黙示録 1:12、5:5、22:18)
講話 6 – 109
気づき“わたし”があなたたちの中に住んでいること、そして人類は永遠に神の子であることを知りなさい。羊は“羊飼いの声”を知っているのです。
(ヨハネによる福音書 1:12-13、10:14-16、14:20、ヨハネの手紙一 4:12、ヘブライ人への手紙 2:11、詩篇 23:1、139:13 、ガラテヤ人への手紙 3:26、ヘブライ人への手紙 10:12)
講話 6 – 110
気づき人類はいつの日か「成し遂げられた」と言い、一つになるでしょう。なぜなら、“わたし” が彼らの中心にいるからです。“父”は“子”の中で “ご自身”を栄光に輝かせ、すべての人びとが、“わたし”を知るようになります。
(ヨハネによる福音書 14:13,20、17:3,21-23、19:30、フィリピの信徒への手紙 2:6、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの黙示録 21:1-4)