講話 3 – 81

気づき

この講話を締めくくるにあたって、最後のテーマとして“祈り”をとりあげなければなりません。“わたし”にとって“祈り”とは、“命の息”を呼吸することだったのです。今でもそうです。祈りはすべての界層の、すべての世界で、もっとも強力なものなのです。

(ヨハネによる福音書 15:7、ヤコブの手紙 5:16、テサロニケ人への手紙第一 5:17、マタイによる福音書 6:5-8、7:7-8、ルカによる福音書 11:9-10、ヤコブの手紙 4:2、ヘブライ人への手紙 11:6、イザヤ書 65:24、詩篇 34:15、145:18、イザヤ書 55:6-7、創世記 2:7)

講話 3 – 82

気づき

祈りの力は、祈りとその答えは一つであるという事実に見出されます。“父”と一つであり、“父”の御心は“わたし”の中で実現するという自覚をもって祈りなさい。神が宿り給うあなたたちの“神聖なる中心”に入りなさい。そこで“わたし”はあなたたちに、宣べ、伝えます。

(ヨハネによる福音書 15:7-8、マタイによる福音書 6:5-10、ヤコブの手紙 4:2-3、5:16、テサロニケの信徒への手紙一 5:17、コリントの信徒への手紙一 12:4-11、使徒言行録 2:17-18、詩篇 46:10、66:19-20、91:1-2、95:6、イザヤ書 55:6-7、ヨハネの黙示録 5:13)

講話 3 – 83

気づき

あなたたちがこの強力な武器を無智な用い方をしてこなかったことを喜んでいます。わたしたちが愛するこの兄弟(マクドナルド・ベイン氏)は、若いときに祈りを教えられました。彼は子供の頃から導かれていましたので、わたしは彼の人生で起こった多くのことをあなたたちに話すこともできます。彼は生まれながらの霊能者で、幼い頃にわたしと直接、顔と顔を合わせたことがありますが、それは彼の多くの経験の一つです。彼がヒマラヤに連れて行かれたのは、大指導霊(the Masters)たちが彼を用いて話すことができる霊媒になる方法を学ぶためでした。その結果、わたし自身が彼にオーバーシャドウ(神懸かり)することができるようになりました。

(ヨハネによる福音書 15:7-8、マタイによる福音書 6:5-10、ヤコブの手紙 4:2-3、5:16、テサロニケの信徒への手紙一 5:17、コリントの信徒への手紙一 12:4-11、使徒言行録 2:17-18、詩篇 46:10、66:19-20、91:1-2、95:6、イザヤ書 55:6-7、ヨハネの黙示録 5:13、サムエル記上 3:1-10)

講話 3 – 84

気づき

彼が世に出るときが来ました。彼は健康に恵まれ、精神は若く、わたしたちは彼をこれからもずっと肉体に留めておきたいと望んでいます。彼の地上での仕事は、まだ終わっていないからです。

(エフェソの信徒への手紙 2:10)

講話 3 – 85

気づき

多くの祈りは、神と人は分離しているという誤った考えのままに捧げられています。特に教会や礼拝堂ではそれが顕著で、神ははるか遠くのかけ離れたところにおられると信じられています。しかし神は、わたしたちの手足よりも身近なところにおられるのです。

(詩篇 139:7-10、使徒言行録 17:27-28、ヨハネによる福音書 14:17、マタイによる福音書 28:20、ヤコブの手紙 4:8、ヘブライ人への手紙 13:5、イザヤ書 41:10、エレミヤ書 23:23-24)

講話 3 – 86

気づき

このような祈りでさえも無駄になることはありません。しかし、このような祈りには分離の波動が混ざっており、助けてあげたいと思っている人にそれほど大きな助けにはならず、完全な対価は得られないのです。

(マタイによる福音書 21:22、ヤコブの手紙 4:3、ヨハネの手紙一 5:14-15、詩篇 66:18-20)

講話 3 – 87

気づき

“全能者”が宿っておられるあなたたちの心の内奥の密室に入り、神のご意志が成就されるのを見なさい。それ以外のものを見たり聞いたりしてはいけません。緊張や不安、疑いを抱かず、助けてあげたいと思う人びとに、神の独り子である“キリスト”の勝利が実現している姿を見るのです。そうすれば、それは成就されます。

(マタイによる福音書 6:5-8、ヨハネによる福音書 15:7-8、ローマ人への手紙 8:37、ヤコブの手紙 4:2-3、詩篇 66:19-20、91:1、イザヤ書 55:6-7)

講話 3 – 88

気づき

あなたたちの多くが読んだことのあるわたしの記録(新訳聖書)の中にも、いくつもの癒やしの記録があります。これらの癒やしは同じ方法、すなわち“すべてを支配する力”を認識し、かつ現すことによってもたらされたのです。このことについて、肉はなんら関与することはできないのです。

(マタイによる福音書 8:16-17、9:35、マルコによる福音書 16:17-18、ヤコブの手紙 5:14-15、詩篇 103:2-3、107:20、イザヤ書 53:5)

講話 3 – 89

気づき

“キリスト”から発する静かな確信の強さをもって語るとき、偽りの状態は完全に消滅します。神は遍在しておられるので、悩める霊でも瞬時に神に触れさせることができるのです。

(マタイによる福音書 17:20、ヨハネによる福音書 6:63、14:12-14、マルコによる福音書 1:27、4:14、ヘブライ人への手紙 4:12、詩篇 46:1,10、119:105、イザヤ書 55:11、ハバクク書 2:20)

講話 3 – 90

気づき

真の祈りの価値は計り知れません。言葉で“霊的真実”を表現することはできません。外なる神に自分の重荷を投げ、疑いを抱きながらその結果を待つようなことをしてはなりません。なぜなら、神はあなたたちの内におられ、祈りと答えは一つなのです。

(ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 15:7-8、マタイによる福音書 6:5-8、エフェソの信徒への手紙 3:20、ヤコブの手紙 4:2-3、詩篇 66:19-20、イザヤ書 55:6-7)