講話 3 – 21
気づきあなたたちは、かつて、生命は永遠であり、“自己”とは“命”そのもの、“命”から離れて生きることはできない ―― ということを考えたことがありますか。あなたたちの“意識”は、体の中に、“命”が現れるための手段であり、体も“命”から離れて生きることはできません。“意識”は“命”そのものに存在しており、内にあって統率している力なのです。「“わたし”は“命”である」。
(マタイによる福音書 6:25、マルコによる福音書 8:35、10:27、ルカによる福音書 9:24、17:33、ヨハネによる福音書 10:10、11:25、14:6、15:5、ローマの信徒への手紙 8:11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 4:13、コロサイの信徒への手紙 3:4、コリントの信徒への手紙一 3:16、15:22,45、ヨハネの手紙一 5:11、創世記 2:7、イザヤ書 40:31、箴言 3:5-6、4:23、詩編 36:9、139:7-10,13-14、ヨハネの黙示録 21:6、22:17)
講話 3 – 22
気づきこの“力”は、一人ひとりを通じて現れます。そのとき、外からのエネルギーは、すべて妨げとなってしまうことを知りなさい。“キリスト”は常に活動しており、決して静止することはありません。“キリスト”は、絶え間なく内から働く創造的エネルギーであり、活動し続ける沈黙であり、止むこと無く御業を行われ続ける、“父”なのです。すべてを“キリスト”に委ね、沈黙の内に待つとき、“神の息”は、静けさを伴う確固たる整然とした反応として、あなたたちの体のすべての細胞を更新するのです。
(マタイによる福音書 6:6、11:28-29、28:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 5:17、10:30、14:10,16、フィリピの信徒への手紙 2:13、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ローマの信徒への手紙 8:11、ヨハネの手紙一 4:12、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、創世記 2:7、イザヤ書 40:31、ハバクク書 2:20、箴言 3:5-6、4:23、詩編 46:10、104:30、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、21:5-6、22:13,17)
講話 3 – 23
気づき「“わたし”は“命”である」――これが“わたし”のメッセージです。あなたたちと“わたし”は、神の前で同一です。“神の霊”が、“わたし”を創り、神の全能の“力”が、“わたし”に宿っているのです。そして、同一の“霊”が、あなたたちにも宿っているのです。
(マタイによる福音書 5:48、28:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:10,30、14:6,20、15:5、ローマ人への手紙 8:9,11、コロサイの信徒への手紙 1:27、フィリピの信徒への手紙 4:13、コリント人への手紙一3:16、使徒言行録 17:28-29、ガラテヤ人への手紙2:20、創世記1:27、2:7、ヨブ記 33:4、イザヤ書43:7、エゼキエル書36:27、箴言20:27、詩編139:7-8,13、ヨハネの黙示録 1:8、21:3,5-6、22:13)
講話 3 – 24
気づき“わたし”は、人類から切り離された自分独自の“神性”を宣言するために、来たのではありません。むしろ、“わたし”は人類の中にあり、人類は“わたし”の中にあることを示すために、来たのです。“わたし”の言葉を理解することによって、すべての人が、“キリスト”を“人類の救い主”として、受け容れるようになるでしょう。
(マタイによる福音書 25:40、28:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:14、3:16、10:30、14:20、15:4-5、17:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネの手紙一 4:12、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、3:28、エフェソの信徒への手紙 4:6、ローマの信徒への手紙 8:1-2,10、イザヤ書 7:14、42:1、43:1-2、エゼキエル書 36:27、エレミヤ書 23:24、箴言 3:5-6、詩編 82:6、139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 3 – 25
気づき“神のキリスト”とは、わたしたち一人ひとりのすべてに“内在している生ける神”、すなわち、“神の臨在”のことです。それ以外にはありえません。神のみが存在し、神のみが生きておられるのです。初めにそうであったように、未来永劫、神のみが生き給うのです。“キリスト”は分離されることはなく、あなたたちの内なる“キリスト”と、“わたし”の内なる“キリスト”は同一です。“キリスト”とは、生ける“父ご自身”の現れです。ゆえに、「“わたし”は“命”である」と言うのです。“父”は、ご自身の内に“命”を持たれ、その同じ“命”を、“子”にも授けておられるのです。
(マタイによる福音書 11:27、16:16、ルカによる福音書 9:20、17:21、ヨハネによる福音書 1:4、5:26、10:30、14:6,9-10、コロサイの信徒への手紙 1:15-19,27、ローマの信徒への手紙 8:10、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:6、ヨハネの手紙一 4:12、5:11-12、創世記 1:27、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:6、43:10、エレミヤ書 23:24、箴言 8:30,35、詩編 139:7、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13-14,17)
講話 3 – 26
気づき神の子である“わたし”は、神の“創造計画”の中で、“わたし”が占めるべき位置を自覚し、占めています。創造の過程において求められたものは、それに対応する位置を占めます。なぜなら、“わたし”は、すべてを支配していることを証明したからです。“わたし”を信じ、“わたしの言葉”に従うならば、あなたたちも、自らこれを証明することができるでしょう。
(マタイによる福音書 28:18、マルコによる福音書 9:23、ルカによる福音書 22:70、ヨハネによる福音書 1:3、12-13、8:24,28,58、10:34-36、11:25、13:19、14:6,12-14、18:5-6、コロサイの信徒への手紙 1:16、エフェソの信徒への手紙 1:22、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマの信徒への手紙 8:17,37、コリントの信徒への手紙一 3:21-23、ガラテヤの信徒への手紙 4:7、ヘブライ人への手紙 1:2、創世記 1:26、出エジプト記 4:22、イザヤ書 43:10、45:18、箴言 3:5-6,19、16:9、詩編 2:7、8:6-8、24:1、82:6、ヨハネの黙示録 1:8、21:6-7、22:13-14,17)
講話 3 – 27
気づきヨハネは言いました。
初めに“言葉”があった。
“言葉”は、神とともにあった。
“言葉”は、神であった。
この“言葉”は、初めに神と共にあった。
すべては、“彼”の御手によって創られた。
創られたもので、“彼”の御手によらないものは、何一つ無かった。
“命”は“彼”のうちにあり、この“命”は、人の“光”であった。
その“光”が、闇の中で輝いている。
闇が、それに打ち勝つことはなかった。
“彼”は、世に来るすべての人を照らす、真の“光”であった。
“彼”は世にいて、世は“彼”の手の下にあったが、世は“彼”を知らなかった。
“彼”は自分の家族のところに来たが、“彼”の家族は、“彼”を受け入れなかった。
しかし、“彼”の名を信じた者は、神の子となった。
彼らは自分たちが、血によってではなく、肉の意志でも人の意志でもなく、
父なる神から生まれたことを知っている。
そしてこの“言葉”が肉と成り、我らの中に宿られた。
(マタイによる福音書 5:14、ルカによる福音書 2:30-32、ヨハネによる福音書 1:1-14、8:12、12:46、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、フィリピの信徒への手紙 2:6-7、ヘブライ人への手紙 1:2-3、ローマの信徒への手紙 8:14、創世記 1:1-3、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:2、箴言 8:22-30、詩編 27:1、36:9、ヨハネの黙示録 1:18、21:23)
講話 3 – 28
気づきこれが、当時、アラム語で書かれたヨハネの言葉の正しい解釈です。血によってではなく、肉の意志によってでもなく、神なる“父”から生まれたことを知る者は、永遠の“命”を今得ていることが、はっきりと示されています。神は、"ご自身"がそのものに成ることによって、万物を創造されまいした。闇は、人の“光”に打ち勝つことはできませんでした。この“光”は、世に来るすべての魂を照らす“光”だからです。この“光”は、すべての人の内に存在します。初めから人の中にあったこの“光”こそ、“神のキリスト”なのです。
(マタイによる福音書 5:14-16、ヨハネによる福音書 1:1-5, 9-14、3:5-6、8:12、コロサイの信徒への手紙 1:16,27、エフェソの信徒への手紙 5:8、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 15:45、ヨハネの手紙一 1:5,8-9、3:9、ローマの信徒への手紙 8:16-17、創世記 1:3-4、イザヤ書 9:2、42:6-7、箴言 3:19、20:27、詩編 36:9、82:6、119:105、ヨハネの黙示録 21:23、22:5)
講話 3 – 29
気づきこれが、すべての生きとし生ける魂に宿っている“言葉”です。まことにあなたたちに言っておきます。生まれてくるすべての赤子は、“神の言葉”によって生まれるのであり、その“言葉”とは、永遠に生きる“キリスト”なのです。これについて、肉には、このことに関与する権限はないのです。
(マタイによる福音書 4:4、19:14、ルカによる福音書 18:17、ヨハネによる福音書 1:1-4,14、3:5-6、ヨハネの手紙一 3:9、5:1、ローマの信徒への手紙 8:10、コロサイの信徒への手紙 3:16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、4:19、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 3:17、創世記 1:27、2:7、イザヤ書 49:1、55:11、箴言 8:35、22:6、詩編 119:89、127:3、139:13-16、ヨハネの黙示録 19:13)
講話 3 – 30
気づき一人ひとりそれぞれが、現在の思考と行動によって、未来を形作っています。“今”とは、常に、現在のことなのです。“今”においてのみ、あなたたちは創造することができるのです。未来ではなく、過去でもありません。
(マタイによる福音書 6:34、ルカによる福音書 12:25-26、ヨハネによる福音書 9:4、コリントの信徒への手紙二 5:7、6:2、エフェソの信徒への手紙 5:15-16、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、4:8、ヤコブの手紙 4:14、ヘブライ人への手紙 3:13、コロサイの信徒への手紙 4:5、創世記 1:3,31、出エジプト記 3:14、イザヤ書 43:18-19、コヘレトの言葉 3:1-8、箴言 16:9、27:1、詩編 90:12、118:24、ヨハネの黙示録 1:8)