講話 3 – 27
ヨハネは言いました。
初めに“言葉”があった。
“言葉”は、神とともにあった。
“言葉”は、神であった。
この“言葉”は、初めに神と共にあった。
すべては、“彼”の御手によって創られた。
創られたもので、“彼”の御手によらないものは、何一つ無かった。
“命”は“彼”のうちにあり、この“命”は、人の“光”であった。
その“光”が、闇の中で輝いている。
闇が、それに打ち勝つことはなかった。
“彼”は、世に来るすべての人を照らす、真の“光”であった。
“彼”は世にいて、世は“彼”の手の下にあったが、世は“彼”を知らなかった。
“彼”は自分の家族のところに来たが、“彼”の家族は、“彼”を受け入れなかった。
しかし、“彼”の名を信じた者は、神の子となった。
彼らは自分たちが、血によってではなく、肉の意志でも人の意志でもなく、
父なる神から生まれたことを知っている。
そしてこの“言葉”が肉と成り、我らの中に宿られた。
(マタイによる福音書 5:14、ルカによる福音書 2:30-32、ヨハネによる福音書 1:1-14、8:12、12:46、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、フィリピの信徒への手紙 2:6-7、ヘブライ人への手紙 1:2-3、ローマの信徒への手紙 8:14、創世記 1:1-3、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:2、箴言 8:22-30、詩編 27:1、36:9、ヨハネの黙示録 1:18、21:23)
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