講話 3 – 25

“神のキリスト”とは、わたしたち一人ひとりのすべてに“内在している生ける神”、すなわち、“神の臨在”のことです。それ以外にはありえません。神のみが存在し、神のみが生きておられるのです。初めにそうであったように、未来永劫、神のみが生き給うのです。“キリスト”は分離されることはなく、あなたたちの内なる“キリスト”と、“わたし”の内なる“キリスト”は同一です。“キリスト”とは、生ける“父ご自身”の現れです。ゆえに、「“わたし”は“命”である」と言うのです。“父”は、ご自身の内に“命”を持たれ、その同じ“命”を、“子”にも授けておられるのです。

(マタイによる福音書 11:27、16:16、ルカによる福音書 9:20、17:21、ヨハネによる福音書 1:4、5:26、10:30、14:6,9-10、コロサイの信徒への手紙 1:15-19,27、ローマの信徒への手紙 8:10、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:6、ヨハネの手紙一 4:12、5:11-12、創世記 1:27、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:6、43:10、エレミヤ書 23:24、箴言 8:30,35、詩編 139:7、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13-14,17)

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