講話 13 – 11
気づき“神の意識”は万生万物を包み込んでおり、万生万物は、“神の意識”の中に存在しています。ゆえに、あなたたちの内なる“神の意識”は、あなたたちが神の似姿であることを、明らかにするのです。
(ヨハネによる福音書 14:10、マタイによる福音書 5:48、6:10、ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 2:16、エフェソの信徒への手紙 2:10、4:24、コロサイの信徒への手紙 3:3,10、ヨハネの手紙一 4:12-13、創世記 1:27、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:4)
講話 13 – 12
気づき自分の心臓の鼓動に耳を傾け、そこに脈打つ“神の命”の、完全な流れを実感しなさい。“実在”においては、あなたたちは、“父”の内なる“キリストの心臓”と一つなのです。
(ヨハネによる福音書 14:20、マタイによる福音書 6:22-23、11:28-30、ルカによる福音書 17:21、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 6:19、エフェソの信徒への手紙 2:18、フィリピの信徒への手紙 1:21、エゼキエル書 36:26-27、詩編 73:26、139:7-8、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 13 – 13
気づき神は、予め用意された経路を通して、ご自身を注ぎ出されることを、喜びとされておられます。
(ヨハネによる福音書 7:38、マルコによる福音書 4:26-29、マタイによる福音書 5:14-16、10:20、ルカによる福音書 6:38、12:12、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:7、使徒言行録 2:17-18、テモテへの手紙二 2:21、エフェソの信徒への手紙 3:19、イザヤ書 42:1、55:10-11、エレミヤ書 18:6、詩編 23:5、36:8-9、42:1-2、63:1、78:15-16、145:16、ヨハネの黙示録 3:8、22:1-2)
講話 13 – 14
気づきあなたたちは、神が準備されている、神の通路なのです。やがて、その衝動を感じるようになるでしょう。“わたし”が、あなたたちのもとに来たのは、決して単なる偶然のことなどではなく、全人類の根底にある、“霊”の発露による展開なのです。呼びかけに返答がなされないことは、決してありません。あなたたちの内に宿る、“キリストの偉大なる十字軍”(the great Crusade of the Christ)が、あなたたちの意識の中で、紐解かれようとしているのです。内なるものは、外なるものとなり、外なるものは、内なるものとなるのです。こうして、人は“キリストの霊”によって、成熟していくのです。
(ヨハネによる福音書 15:5、マルコによる福音書 4:26-29、マタイによる福音書 5:6、13:31-33、ルカによる福音書 8:15、17:21、ローマの信徒への手紙 8:14、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 2:10、3:16-17、フィリピの信徒への手紙 2:13、エゼキエル書 36:26-27、イザヤ書 30:21、43:1、詩編 23:1-6、25:4-5、32:8、51:10-12、63:1、73:24、139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 13 – 15
気づき世は、“キリスト”が、神の“命”を生きることによって、“キリスト”を知るようになります。そして、小羊と獅子は、共に横たわるようになるのです。“神の小羊”とは、人の内なる“偉大なる力”であり、獅子とは、肉体感覚(五感)の人間です。獅子は、乱暴で自己を知らない存在ですが、“神の小羊”である内なる“キリスト”によって、従順になります。“愛”はすべてを克服します。“愛”は神であり、神は“愛”なのです。
(イザヤ書 11:6-9、ヨハネによる福音書 14:6、マタイによる福音書 5:44、ルカによる福音書 6:27-28、ヨハネの手紙一 4:8、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、ローマの信徒への手紙 5:5、8:37-39、エゼキエル書 34:25、ホセア書 2:20-25、詩編 18:1-2、23:1-4、ヨハネの黙示録 5:5-6)
講話 13 – 16
気づきこの脈動する“命”は、あなたたちが、その中にあることを喜ぶとき、“命”自らも、あなたたちを喜ぶのです。
(ヨハネによる福音書 14:20、15:4-5,11、マタイによる福音書 5:6、6:33、ルカによる福音書 12:31、15:7、フィリピの信徒への手紙 4:4、コリントの信徒への手紙二 1:24、コロサイの信徒への手紙 3:16、詩編 37:4、イザヤ書 58:14、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4)
講話 13 – 17
気づき神は遍在し、永遠です。あなたたちは、その神と共にあるのです。神のようになろうとするならば、分離も区別も存在しないことを知らなければなりません。
(ヨハネによる福音書 14:20、17:21、マタイによる福音書 18:20、28:20、マルコによる福音書 12:29-30、ルカによる福音書 10:22、17:21、使徒言行録 17:28、コリントの信徒への手紙一 6:17-19、エフェソの信徒への手紙 2:18、4:4-6、申命記 4:39、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3、22:3-4)
講話 13 – 18
気づき「分離も区別も存在しない」と“わたし”が言うとき、おそらくあなたたちは、その意味を十分には理解していないでしょう。あなたたちが、区別を見るということは、分離の中に生きており、個人として、肉体感覚の中に生きているということです。分離の中に生きているときに、区別が見え、区別が見えることによって、分離を感じるのです。これが、大いなる幻想なのです。
(ヨハネによる福音書 14:20、17:22-23、マタイによる福音書 5:44-45、25:40、マルコによる福音書 10:14-15、ルカによる福音書 6:37、17:21、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コリントの信徒への手紙一 3:16、12:12-13、エフェソの信徒への手紙 2:14、4:6、申命記 6:4-5、イザヤ書 45:22、詩編 139:7-8、ヨハネの黙示録 7:9、21:3)
講話 13 – 19
気づき差別は、知によって作り出されたものです。“神のキリスト”には、差別も区別もありません。あなたたちの内なる“神の霊”にも、ありません。あなたたち一人ひとりのすべてに、同じ“神の霊”が宿っているのです。その“神の霊”の中に、あなたたちは“力”を保有しているのです。なぜなら、何ものも“神の霊”を攻撃することは、不可能だからです。今すぐに、あなたたちの人生の中で、このことに気づき、自由になりなさい。これこそが、“真理”による自由です。あなたたちを解放する“真理”なのです。
(ヨハネによる福音書 8:32、ルカによる福音書 4:18-19、17:21、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、ローマの信徒への手紙 8:9、エフェソの信徒への手紙 4:4、コリントの信徒への手紙一 12:13、ヨハネの手紙一 4:16、イザヤ書 61:1、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 21:6、22:17)
講話 13 – 20
気づきあなたたちが、分離はあると信じ、区別するから、分離を感じるのです。“わたし”を知るためには、分離を引き起こす一切のものを、しっかりと、見極めなければなりません。
(ヨハネによる福音書 14:6、17:21、マルコによる福音書 3:24-25、マタイによる福音書 5:23-24、6:14-15、ルカによる福音書 6:37、11:17、ヨハネの手紙一 1:5-7、2:9-11、4:7-8,16,20、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、4:5、コリントの信徒への手紙二 3:16、5:18-19、イザヤ書 59:2、詩編 51:10-11、139:7-8、ヨハネの黙示録 7:9-10、21:3)