講話 12 – 81

気づき

神を見た者はいません。しかし“わたし”は、神である“父”の懐(ふところ)にいます。“父”は “わたし” について宣言され、あなたたちは、“父”が語るのを聴いたのです。

(ヨハネによる福音書 1:18、5:37、14:9-10、マタイによる福音書 11:27、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 9:35、10:22、出エジプト記 33:20、申命記 4:12、イザヤ書 6:1-5、ヨハネの黙示録 1:17-18)

講話 12 – 82

気づき

“わたし”は、“天の父”の種です。“父”は、その種を植えなおされ、あなたたちすべての中に、同じ実を結ばせます。

(ヨハネによる福音書 15:5、マタイによる福音書 13:23、マルコによる福音書 4:20,26-29、ルカによる福音書 8:11-15、13:18-19、コリントの信徒への手紙二 9:10、ペトロの手紙一 1:23、ガラテヤの信徒への手紙 3:16、5:22-23、イザヤ書 53:10、61:11、詩編 126:5-6、ヨハネの黙示録 14:14-16)

講話 12 – 83

気づき

人は皆、兄弟の間柄であるという“真理”は、地上の闇を超え、成長し始めています。それは、人の心を貫きつつあります。真に言っておきますが、神の目的を果たすことが、今もなお、“キリスト”の目的なのです。

(ヨハネによる福音書 13章34-35、17:21、マルコによる福音書 10:45、ローマの信徒への手紙 12:5、エフェソの信徒への手紙 4:4-6,13、フィリピの信徒への手紙 2:15、レビ記 19:18、イザヤ書 42:6-7、詩編 133:1、イザヤ書 9:2、ヨハネの黙示録 21:23-24、22:5)

講話 12 – 84

気づき

“わたし”が遣わされた目的は、必ず成就します。神の目的は、万生万物に内在する“神のキリスト”によって、必ず達成されます。“わたし”が言ったことを、覚えておきなさい。

(ヨハネによる福音書 17:4、19:30、ルカによる福音書 4:18-19、マタイによる福音書 5:17、フィリピの信徒への手紙 2:8、コリントの信徒への手紙二 5:19、エレミヤ書 29:11、イザヤ書 46:10、55:11、詩編 33:11、ヨハネの黙示録 1:8、5:9-10、11:15、19:11-16、21:6、22:12-13)

講話 12 – 85

気づき

“わたし”は、人類と一体です。“人類という花園”に咲いた、最初の花の一つです。世の終わりまで、すべての日々、あなたたちと共にいるのです。

(マタイによる福音書 28:20、ヨハネによる福音書 1:1-3,14、15:4-5、コロサイ書 1:15-17、フィリピの信徒への手紙 2:6-7、イザヤ書 7:14、9:6、詩編 16:8、46:1-2、73:23-24、121:5-8、139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3、22:13)

講話 12 – 86

気づき

わたしたちの間には、何の隔たりもありません。あなたたちが、この世の体を離れ、内なる意識の領域に入っても、依然として、 “わたし” はあなたたちと共にいます。あなたたちは、より大いなる悟りを自覚するでしょう。すべての敵意が消滅する、大いなる“愛”に目覚めるでしょう。

(ローマ人への手紙 8:38-39、ヨハネによる福音書 14:2-3、マルコによる福音書 10:29-30、13:31、ルカによる福音書 16:22、24:36、コリントの信徒への手紙一 13:12、エフェソの信徒への手紙 2:14、テサロニケの信徒への手紙一 4:17、詩編 23:1-6、 139:7-10、イザヤ書 25:8、40:11、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:5)

講話 12 – 87

気づき

“わたしの父”の家には、“神の愛”が満たされています。悔い改め、“父”に帰る者は、すべて“神の愛”を受け、溢れるばかりの恵みで、圧倒されるのです。

(ルカによる福音書 15:7,20-24、マタイによる福音書 7:7-11、マルコによる福音書 10:14、11:24、ヨハネによる福音書 3章16、14:2、エフェソの信徒への手紙 2:4-5、ローマの信徒への手紙 5:8、詩編 34:8-22、103:8-12、イザヤ書 55:7、ヨハネの黙示録 3:20、22:17)

講話 12 – 88

気づき

“わたしの父”の家には、多くの館(やかた)があります。これらは、意識の階層です。“神性”の顕現にとって最大の障害は、自己の“内なるキリスト”を知らないことなのです。

(ヨハネによる福音書 14:2、マルコによる福音書 4:11-12、6:52、ルカによる福音書 11:52、24:31、コロサイの信徒への手紙 1:27、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、4:13、ローマの信徒への手紙 8:9-10、詩編 27:4、84:2-7,11-13、イザヤ書 57:15、60:1、ヨハネの黙示録 3:20、21:22-23)

講話 12 – 89

気づき

もっとも罪が深いのは、誰なのでしょうか。他人を非難し、自分を非難しないことができるのでしょうか、よく考えなさい!

(マタイによる福音書 7:1-5、23:27-28、マルコによる福音書 4:24、7:6-7、ルカによる福音書 6:37、18:9-14、ヨハネによる福音書 8:7、ローマの信徒への手紙 2:1-3、3:23、コリントの信徒への手紙一 4:7、箴言 21:2、イザヤ書 64:6、 コレヘトの言葉 7:20、詩編 51、ヨハネの黙示録 2:23、20:12)

講話 12 – 90

気づき

多くの人びとは、地上で無智の中に生き、自らの力を誤解し、誤用してしまいました。そうした人びとは、“神の無限の愛”を理解しなかったのです。しかし今では、悟りと“愛”を通じて成長し、解脱(げだつ)に向かっているのです。

(ヨハネによる福音書 8:32、マルコによる福音書 4:24-25、6:34、ルカによる福音書 15:17、24:45、エフェソの信徒への手紙 4:18、ローマの信徒への手紙 6:6、12:2、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、フィリピの信徒への手紙 1:9、イザヤ書 42:6-7、詩編 51、119:130、ヨハネの黙示録 3:17-18、21:6)