講話 12 – 31

気づき

そうして、日々の仕事を、ただ単に人を喜ばせるためではなく、できる限り純粋に、“神への愛”によって、果たし続けなさい。

(コロサイの信徒への手紙 3:23-24、コリントの信徒への手紙一 10:31、ローマの信徒への手紙 14:8、エフェソの信徒への手紙 6:6-7、マタイによる福音書 6:1、22:37、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、16:13、ヨハネによる福音書 14:15、テサロニケの信徒への手紙一 5:16、箴言 16:3、詩編 19:14、37:5、90:17、128:1-2、143:10、コヘレトの言葉 9:10、ヨハネの黙示録 2:2-4、3:15-16)

講話 12 – 32

気づき

かくて、あなたたちの仕事は、なんら制限を受けることなく、あなたたちを導き給う無限なる“神の臨在”の中へと広がっていくのです。

(エフェソの信徒への手紙 3:20-21、フィリピの信徒への手紙 4:13、コリントの信徒への手紙二 3:5、9:8、ヨハネによる福音書 15:5、マルコによる福音書 9:23、10:27、ルカによる福音書 1:37、17:6、詩編 1:3、イザヤ書 40:31、55:11、ヨハネの黙示録 3:8、21:6)

講話 12 – 33

気づき

あなたたちは、“父なる神”ご自身が、その“栄光と力”のすべてをもって現れるという“真理”を受け入れ、“わたし”に、完全に委ねなさい。そうすれば、あなたたちの心は、その強大な“力”を表現する媒体となります。しかしその前に、あなたたちの心は、“敬虔と愛”によって満たされていなければなりません。そうすれば、あなたたちは、日常生活を超え、過去も未来もない“臨在”の中で、栄光の人生へと引き上げられます。かくて、この偉大なる“力”は、あなたたちにとって現実のものとなるのです。

(ヨハネによる福音書 14:23、15:5、マルコによる福音書 9:23、11:22-24、ルカによる福音書 6:45、8:15、コリントの信徒への手紙二 3:5、エフェソの信徒への手紙 3:20、ローマの信徒への手紙 8:9、12:2、フィリピの信徒への手紙 4:7,13、箴言 3:5-6、詩編 25:9、イザヤ書 26:3、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)

講話 12 – 34

気づき

各惑星はそれぞれの軌道を巡っています。天空のすべての運行は、神の驚嘆すべき御業です。その同じ“力”が、自らを顕現しようと待機されています。すなわち、“神の愛と力”である内在の“キリスト”に、完全に明け渡すことができる心を通じて、それは現れることができます。しかしそのことに、あなたたちはほとんど気づいていません。神はその瞬間を待ち望まれているのです。

(コロサイ人への手紙 1:16-17、エフェソの信徒への手紙 3:20-21、コリントの信徒への手紙二 3:5、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマの信徒への手紙 8:9、マルコによる福音書 4:39-41、11:23、ルカによる福音書 1:37、10:19、ヨハネによる福音書 15:5、詩編 19:1-2、イザヤ書 40:26、ダニエル書 2:21、ヨハネの黙示録 1:8、21:6)

講話 12 – 35

気づき

あなたたちは、自分の仕事の結果について、心配する必要はありません。“天の父”は、ご自分を愛するすべての人に、惜しみなく豊かに報いてくださるからです。

(マタイによる福音書 6:31-33、マルコによる福音書 10:29-30、12:43-44、ルカによる福音書 6:38、12:31-34、コリントの信徒への手紙一 3:8、ガラテヤの信徒への手紙 6:9、テサロニケの信徒への手紙一 5:16、コロサイの信徒への手紙 3:23-24、箴言 3:5-6、ヘブライ人への手紙 11:6、詩編 37:4、イザヤ書 40:31、ヨハネの黙示録 2:10、22:12)

講話 12 – 36

気づき

明日のことを思い煩う必要もありません。明日のことは、今日の“愛”によって、すでに解決済みだからです。

(マタイによる福音書 6:25-27,34、ルカによる福音書 6:38、12:22-24、マルコによる福音書 4:26-27、10:29-30、フィリピの信徒への手紙 4:6、ペテロの手紙一 5:7、ヤコブの手紙 4:13-15、箴言 27:1、詩編 118:24、イザヤ書 26:3、ヨハネの黙示録 3:11、21:4)

講話 12 – 37

気づき

あなたたちの人生の重要な瞬間は、すべて記録され、あなたたちと共にあり、内なる領域へと引き継がれます。すべての善いことと、価値のあるものは保たれ、そうでないものは、すべて消え去ります。なぜなら、“父”は、あなたたちに対して、何の恨みも抱かれないからです。無智な兄弟だけが、そうするのです。

(ローマの信徒への手紙 8:1,28、ヘブライ人への手紙 8:12、コリントの信徒への手紙一 13章4、ヨハネによる福音書 8:11、14:27、マルコによる福音書 2:5、11:25、ルカによる福音書 6:37、15:20-24、テサロニケの信徒への手紙一 5:16、ペテロの手紙一 1:4、詩編 103:12、イザヤ書 43:25、エレミヤ書 31:34、ヨハネの黙示録 3:5、21:27)

講話 12 – 38

気づき

“キリスト”に相応しいものは、すべて保持されますが、それ自体に存在する力が無いものは、すべて消え去ります。なぜなら、感覚による錯覚のみによって維持されているからです。

(コリントの信徒への手紙一 3:12-15、ペテロの手紙一 1:23、マタイによる福音書 7:24-27、ヨハネによる福音書 8:31、15:5-6、マルコによる福音書 8:36-37、13:31、ルカによる福音書 12:33-34、16:13、コレヘトの言葉 1:14、詩編 1:4、イザヤ書 40:7-8、ヨハネの黙示録 3:11、21:27)

講話 12 – 39

気づき

あなたたちを悩ませる物事や、いわゆる、悪と称されるものを恐れてはなりません。そうしたものは、あなたたちの内なる天国には入ることができず、本来あるべき無に溶け去るからです。

(ローマの信徒への手紙 8:38-39、ヨハネによる福音書 14:27、16:33、マルコによる福音書 4:39-40、5:36、ルカによる福音書 10:19、12:32、ローマの信徒への手紙 8:38、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヨハネの手紙一 4:4、ペテロの手紙一 5:7、詩編 91:5-7、イザヤ書 41:10、54:17、ヨハネの黙示録 2:10、21:4)

講話 12 – 40

気づき

かくてあなたたちは、自己の内奥で、“神のキリストの力”がもたらす、静かで揺るぎない感銘を味わうことができます。それは、あなたたちの内なる“神のキリスト”が、神ご自身が無限の表現ができる媒体だからです。

(ヨハネによる福音書 14:27、マルコによる福音書 4:39-40、5:34、ルカによる福音書 1:78-79、2:14、コリントの信徒への手紙二 3:18、フィリピの信徒への手紙 4:7,13、エフェソの信徒への手紙 3:20、コロサイの信徒への手紙 1:27、ローマの信徒への手紙 8:9、イザヤ書 9:6、26:3、詩編 23:4、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4)