講話 10 – 71

気づき

あなたたちは、あなたたちの内なる“キリスト”の偉大さを把握し尽くすことはできません。“キリスト”は、人の魂に宿る“神の臨在”を絶え間なく展開し続けているからです。

(イザヤ書 9:6、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネによる福音書 1:14、14:6,23、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、コリントの信徒への手紙二 4:6、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの黙示録 5:9-10、21:3)

講話 10 – 72

気づき

世に存在しているすべての魂に、“神の臨在”があります。“キリスト”は、この“臨在”を不断に明かしているのです。

(詩篇 139:7-8、ヨハネによる福音書 1:14、14:16-17、ヘブライ人への手紙 1:3、コリントの信徒への手紙一 3:16、コロサイの信徒への手紙 3:10-11、エフェソの信徒への手紙 2:21-22、ヨハネの手紙一 4:12-13、ローマの信徒への手紙 8:9、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 10 – 73

気づき

“キリスト”は、虚偽と真実を見抜き、理解します。“キリスト”は、過ちを直し、そうした状態を消滅させます。また“キリスト”は、神と人との仲介者であり、神を理解し、人を理解しています。“キリスト”は、“神の霊”ご自身が個性化して顕現したものだからです。

(イザヤ書 11:2-3、ヨハネによる福音書 1:14、14:6-7、16:13、コリントの信徒への手紙一 2:10-15、コリントの信徒への手紙二 5:18-19、テモテへの手紙一 2:5、ヘブライ人への手紙 9:14-15、エフェソの信徒への手紙 2:13-18、ヨハネの黙示録 1:5-6、5:9、21:3-4)

講話 10 – 74

気づき

あなたたちの内にまします“父なる神”が個別化され、あなたたちの内なる“キリスト”となります。ゆえに、“キリスト”は神を知り、人を知ります。肉の弱さや、世の苦しみを理解します。“人類のキリスト”は、自分自身の中で、利己心のない“キリスト性”に達するまでは、決して理解されることはありません。

(詩篇 82:1-6、ヨハネによる福音書 10:30、14:6-7、フィリピの信徒への手紙 2:5-11、コリントの信徒への手紙一 13:1-13、ヘブライ人への手紙 4:15、ヨハネの手紙一 3:2、ローマの信徒への手紙 8:34、ヨハネの黙示録 1:18、5:6、21:4)

講話 10 – 75

気づき

あなたたちは、このことについて、なお多くのことを学ばなければなりません。あなたたちが、“無私のキリスト性”に達して初めて、“人類の罪を贖う十字架”が、何を意味するのか、その完全な意味を理解することができるのです。

(イザヤ書 53:5、マタイによる福音書 12:24-25、16:24、ヨハネによる福音書 3:16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、ヘブライ人への手紙 12:2、ヨハネの黙示録 1:5-6、5:9、12:11)

講話 10 – 76

気づき

 「“わたし”はある(I am)」は、“普遍人間”(Universal man)です。すべての人びとは、この“わたし”の中に、真実の関係を見出すことができるのです。

(ヨハネによる福音書 14:6、コリントの信徒への手紙一 12:13、コリントの信徒への手紙二 5:17、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 2:13-18、マタイによる福音書 22:37-39、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヨハネの黙示録 5:9-10、7:9-10、21:3-4)

講話 10 – 77

気づき

わたしたちはすべて、一人の“父”から生まれたのです。この理解が深まるにつれて、“キリスト性”の完全さを自己の内に実現していくようになります。このようにして、あなたたちは幻想の世界から解放されるのです。

(ヨハネによる福音書 1:12-13、17:20-23、コリントの信徒への手紙一 12:4-6、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、ガラテヤの信徒への手紙 3:27-28、4:7、エフェソの信徒への手紙 4:15-16、ローマの信徒への手紙 8:19、ヨハネの手紙一 3:2、ヨハネの黙示録 5:9-10、7:9-10、21:3-4)

講話 10 – 78

気づき

“わたし”が話している声、この知識、この“真理”は、あなたたちだけでなく、あなたたちには見えませんが、ここに参加している多くの人びとにも聴かれているのです。なぜなら、分離は存在しないからです。唯一、分離が存在できるのは人間の想念の中だけです。“実在”には分離は存在しないのです。

(ヨハネによる福音書 17:21-23、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コリントの信徒への手紙一 12:12-13、ヨハネの黙示録 5:13、7:9-10、21:5、21:5-7、22:16-17,20)

講話 10 – 79

気づき

“わたし”はぶどうの木、“父”はぶどうの木の中の樹液、全人類は枝です。

(詩篇 80:8-11、ヨハネによる福音書 15:1-8、コリントの信徒への手紙一 3:16-17、エレミヤ書 2:21、イザヤ書 5:1-7、エフェソの信徒への手紙 2:19-22、ヨハネの黙示録 5:5-6、21:22-27)

講話 10 – 80

気づき

一本の木には多くの枝があります。しかしそのすべての枝に、“唯一の命”が宿っています。あなたたちが電気と呼ぶものについて比喩を用いて話をするように、わたしもこのように比喩を用いて語ります。

(ヨハネによる福音書 15:1-8、イザヤ書 11:1、創世記 2:7、コリントの信徒への手紙一 12:4-6、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、詩篇 1:1-3、ローマの信徒への手紙 11:17-24、黙示録 7:9-10、21:22-27、22:1-2)