講話 2 - 8

わたしはやむを得ず、あなたたちの言葉や表現方法を用いています。しかしこれらは、“霊的な真理”を伝えるにはまったく不十分です。けれどもあなたたちが内なる“霊”に自らを開くことによって、“わたし”が語っていることが真実であることを理解するでしょう。
(コリントの信徒への手紙一 2:14、ヨハネによる福音書 14:17、16:13、歴代志下 7:14、ヤコブの手紙 1:5、イザヤ書 55:8-9)

From: 上原義高 on 2018-07-19 03:38:58

>これらは“霊”的な真理を伝えるのに全く不適切ですが、

あなたがた自身を内なる“霊”に開くことにより、



「まったく不適切」「“霊”的な真理」「内なる“霊”に開く」・・・・これらは文字や言葉に囚われ、頭で考えることではないということを示唆している。

ということは、必ずしも「頭でわかる必要はない」ということでもある。そんなことよりも、「ハートに問う、自分の内奥の中心に探る、全身全霊の疑問追究をし続ける」ということだろう。これは、臨床心理、カウンセリングでの成果の研究、すなわち、頭ではなく身体に問う方が成果があったというフォーカシングの誕生の経緯に近いといえるだろう。