講話 7 – 1
気づき“聖書”の価値について、共に、よく考えてみましょう。
(マタイによる福音書 4:4、マルコによる福音書 12:24、ルカによる福音書 16:31、24:27、ヨハネによる福音書 5:39、使徒言行録 17:11、20:31-32、ローマの信徒への手紙 10:17、15:4、コリントの信徒への手紙一 10:11、コリントの信徒への手紙二 2:17、ガラテヤの信徒への手紙 3:8、エフェソの信徒への手紙 6:17、フィリピの信徒への手紙 2:16、コロサイの信徒への手紙 3:16、テサロニケの信徒への手紙一 2:13、テサロニケの信徒への手紙二 3:1、テモテへの手紙二 3:16-17、ヘブライ人への手紙 4:12、ヤコブの手紙 1:22、ペトロの手紙一 1:23-25、ペトロの手紙二 1:20-21、ヨシュア記 1:8、イザヤ書 40:8、箴言 30:5、詩編 119:105、ヨハネの黙示録 1:3、 5:10、22:10-19)
講話 7 – 2
気づき『聖書』は、“地上”のみならず、“天国”の領域における、律法(法則)の宣言なのです。
(マタイによる福音書 5:17-20、6:10、マルコによる福音書 12:24、13:31、ルカによる福音書 16:17、21:33、ヨハネによる福音書 1:1-14、10:35、使徒言行録 17:11、ローマの信徒への手紙 3:31、7:7-12、13:8、15:4、エフェソの信徒への手紙 2:15、コロサイ人への手紙 1:16-17、ヘブライ人への手紙 4:12、8:5-12、申命記 6:4-9、30:11-14、コヘレトの言葉 3:1、イザヤ書 40:8、55:10-11、箴言 3:19-20、8:22-23,27-29、30:4-5、詩編 19:8-9、119:1-16,89-90、ヨハネの黙示録 19:13、21:1、22:12-19)
講話 7 – 3
気づきイスラエルの預言者たちが残した多くの書物には、啓示の言葉が満ちています。これらの預言者たちは、啓示を受けた者であり、霊的な真理のすべてを深く学び、理解していたのです。
(マタイによる福音書 5:17-18、マルコによる福音書 12:36、ルカによる福音書 24:27,44、ヨハネによる福音書 5:39、14:26、使徒言行録 1:16、3:18-21、ローマの信徒への手紙 1:2、コリントの信徒への手紙一 2:13、コリントの信徒への手紙二 3:6、4:13、ガラテヤの信徒への手紙 3:8、エフェソの信徒への手紙 3:5、フィリピの信徒への手紙 1:9-10、コロサイの信徒への手紙 1:25-26、テサロニケの信徒への手紙一 2:13、ヘブライ人への手紙 1:1-2、テモテへの手紙二 3:16-17、ペトロの手紙二 1:20-21、イザヤ書 55:11、エレミヤ書 1:2,4-5,7,9、2-4、エゼキエル書 2:1-2,8-10、ダニエル書 10:12、アモス書 3:7、箴言 1:1-7、詩編 78:1-2、119:99-100,105、ヨハネの黙示録 1:3、19:10、22:6)
講話 7 – 4
気づきイスラエルの預言者たちは、表現されるのを待っている“霊的源泉”からの知識を、インスピレーションに従って発動させる力を、備えていたのです。
(マタイによる福音書 10:20、マルコによる福音書 12:36、ルカによる福音書 1:70、12:12、ヨハネによる福音書 14:26、使徒言行録 1:16、2:1-4、4:31、9:1-19、ローマの信徒への手紙 16:26、コリントの信徒への手紙一 2:4-14、12:4-16、コリントの信徒への手紙二 3:6、エフェソの信徒への手紙 3:5、フィリピの信徒への手紙 3:15、コロサイの信徒への手紙 1:26、テモテへの手紙二 3:16、ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12、エフェソの信徒への手紙 3:5、ヘブライ人への手紙 1:1-2、ペトロの手紙二 1:20-21、エゼキエル書 2:1-2,8-10、ダニエル書 5:14、箴言 1:23、2:6、詩編 119:99,130、ヨハネの黙示録 1:10-11、22:6、19:10)
講話 7 – 5
気づき“預言者たち”のほとんどが、この目的のために生まれたのです。『聖書』を通じて、彼らの多くに起こった、尋常ではない出来事を読むことができます。それらの言葉は、インスピレーションによるものでしたが、人間によって書き記されたものです。
(マタイによる福音書 1:22-23、10:20、マルコによる福音書 1:2、13:11、ルカによる福音書 1:15-16、12:12、ヨハネによる福音書 1:6,14、14:26、16:13、使徒言行録 2:1-4、3:18、9:3-7,19-22、ローマの信徒への手紙 1:1-2、8:26、コリントの信徒への手紙一 2:13、12:7-11、14:37、コリントの信徒への手紙二 3:6、ガラテヤの信徒への手紙 1:12,15-16、エフェソの信徒への手紙 3:5、フィリピの信徒への手紙 1:9、コロサイの信徒への手紙 1:9、テモテへの手紙二 3:16、ヘブライ人への手紙 1:1-2、ヤコブの手紙 5:10、ペトロの手紙一 1:10-11、ペトロの手紙二 1:20-21、ユダの手紙 1:14-15、出エジプト記 3:1-4,10、申命記 18:18、サムエル記上 3:20、列王記上 18:36、イザヤ書 6:8-13、エレミヤ書 1:4-19、エゼキエル書 1:3-28、2:3-4、ダニエル書 2:19、6:16-22、ホセア書 1:2、ヨナ書 1:1-2、箴言 1:23、30:5-6、詩編 51:11、119:105、ヨハネの黙示録 1:1-3、10:7、19:10、22:6,10,18-19)
講話 7 – 6
気づきインスピレーションは、“霊”から来るある種の力であり、特定の媒体を通じて表現されるとき、しばしば、その媒体の特性に応じて、形づくられることになります。しかし、より純粋な、“霊的源”(如来界=the Spiritual Source)から来るインスピレーションもあります。それは、今、この瞬間に起きているような、内なる領域に宿る“霊的力”(如来=the Consciousness of the Spiritual Power)の“意識”が、使用する媒体の内なる“意識”を通して現れる場合です。『聖書』に記された預言者の中には、このような方法を用いた者もいました。
(マタイによる福音書 10:20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 1:67、12:12、ヨハネによる福音書 14:26、使徒言行録 2:4、ローマの信徒への手紙 8:9-11,26、コリントの信徒への手紙一 2:12-13、12:7、コリントの信徒への手紙二 3:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-25、エフェソの信徒への手紙 3:5,16、フィリピの信徒への手紙 1:19、2:13、コロサイの信徒への手紙 1:9,27、ヘブライ人への手紙 3:7、ペトロの手紙二 1:21、イザヤ書 61:1、エゼキエル書 2:2、ヨエル書 2:28、箴言 1:23、20:27、詩編 51:11、ヨハネの黙示録 1:10、2:7)
講話 7 – 7
気づきわたしたちはこれを“啓示の書”と呼んでいますが、それが、世界において偉大な価値を持っている秘密なのです。
(マタイによる福音書 4:4、マルコによる福音書 12:36、ルカによる福音書 1:70、ヨハネによる福音書 1:1、6:63、10:35、14:26、使徒言行録 1:16、ローマの信徒への手紙 10:17、15:4、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、コリントの信徒への手紙二 3:6、エフェソの信徒への手紙 6:17、テモテへの手紙二 3:16、ヘブライ人への手紙 1:1-2、4:12、ヤコブの手紙 1:22、ペトロの手紙一 1:23-25、ペトロの手紙二 1:20-21、イザヤ書 40:8、55:11、箴言 30:5、詩編 19:7、119:105、ヨハネの黙示録 1:2, 22:7,18-19)
講話 7 – 8
気づき魂は、常に自分の存在の源を探し求めており、この願いが、インスピレーションを通じて、人を“真理”へと導くのです。いかなる魂からの呼びかけであっても、“霊”の領域から応えがないということは、決してないのです。
(マタイによる福音書 6:33、7:7-8、ルカによる福音書 11:10、ヨハネによる福音書 4:13-14,23-24、6:44、14:13-14、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:26-27、コリント人への第一の手紙 2:10-14、エフェソの信徒への手紙 1:17、3:16-17、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 3:1-2、ヘブライ人への手紙 10:29、11:6、ヤコブの手紙 4:8、ペトロの手紙一 1:22、ペトロの手紙二 1:21、ヨハネの手紙一 5:14、イザヤ書 55:6,65:24、エレミヤ書 29:13、ヨエル書 2:32、箴言 8:17、20:27、詩編 34:15、42:1-2、63:1-12、91:15、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 7 – 9
気づきあなたたちは皆、大いなる全能の“父”と、永遠に結ばれているのです。あなたたちと“父”との間に距離などはなく、“わたし” とあなたたちの間にも、距離はありません。どこにも隔てるものはないのです。分裂や分離は、人間の心の中に生じる無智な概念にすぎないのです。
(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 3:24、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:10,20、15:5、17:21-23、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:32-33,38-39、コリントの信徒への第一の手紙 12:12-13、コリントの信徒への手紙二 6:16、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 1:3-5、2:13-14、4:4-6、コロサイの信徒への手紙 1:16、3:11、ヘブライ人への手紙 13:5、ヨハネの手紙一 4:8,16、イザヤ書 57:15、59:2、エゼキエル書 11:19、箴言 3:5-6、8:22-31、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 7 – 10
気づき“実在”には、分離は存在しません。あなたたち一人ひとりの内なる“神の霊”と、“わたし”の内なる“霊”との間に、分離は存在しません。その“霊”は、あなたたちに語りかけている“父”の“霊”です。語るのは、“霊”のみなのです。
(マタイによる福音書 10:20、28:20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 12:12、ヨハネによる福音書 10:30、14:10-11,17-18、15:5、17:21、使徒言行録 2:4、17:28、ローマの信徒への手紙 8:9-11、コリントの信徒への手紙一 6:17、12:13、コリントの信徒への手紙二 3:17、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、4:6、エフェソの信徒への手紙 2:18-19、4:4-6、コロサイの信徒への手紙 1:16,27、3:10-11、ヘブライ人への手紙 13:5、ヨハネの手紙一 4:8、イザヤ書 57:15、59:21、箴言 20:27、詩編 51:12-13、139:7-10、ヨハネの黙示録 2:7、21:3)