講話 3 – 61

気づき

来る日も来る日も、“父”が教え、導いてくださることに感謝しなさい。

(マタイによる福音書 6:9、7:7、11:25、マルコによる福音書 1:35、ルカによる福音書 11:1,13、ヨハネによる福音書 14:26、フィリピの信徒への手紙 4:6、テサロニケの信徒への手紙一 5:18、ヤコブの手紙 1:5、コロサイの信徒への手紙 3:16、申命記 6:7、イザヤ書 30:21、48:17、箴言 3:5,6、16:9、詩編 23:1-6、25:4-5、32:8、119:105、ヨハネの黙示録 3:20、7:12)

講話 3 – 62

気づき

寝ているときも起きているときも、まず、“父”を優先しなさい。あなたたちの心に臨在されている“父”とつながっているかぎり、失敗することはありません。自分だけで何かを成し遂げることができると考えている人もいますが、“父”と共にあってこそ、何事でも成し遂げることができるのです。

(マタイによる福音書 6:33、マルコによる福音書 10:27、ルカによる福音書1:37、ヨハネによる福音書 5:18-19、14:23、15:5、箴言 3:5,6、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマの信徒への手紙 8:31、エフェソの信徒への手紙 3:20、コロサイの信徒への手紙 3:17、コリントの信徒への手紙一 3:7、ヘブライ人への手紙 13:5、ヤコブの手紙 4:6、申命記 8:17-18、31:6、サムエル前書 16:7、イザヤ書 41:10、箴言 3:5-6、16:3、詩編 16:8、37:5、46:1、115:1、127:1、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)

講話 3 – 63

気づき

あなたたちの想いは、いつも何かを欲しがっている状態なのですか。与えようとはしていないのですか。与えることこそが、受けることなのです。“父”と一つになるためには、“父”に心を開き、 “愛と叡智の尊い力”が、あなたたちを通じて流れるようにしていなければなりません。“父”のみが、万物の供給者であり、“父”なしに造られたものなど、何もないのです。

(マタイによる福音書 5:45、6:33、10:8、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 6:38、ヨハネによる福音書 1:3、15:5、使徒言行録 20:35、フィリピの信徒への手紙 4:19、ローマの信徒への手紙 11:36、コリントの信徒への手紙二 9:6-8、エフェソの信徒への手紙 3:17-20、創世記 1:1、イザヤ書 26:3、41:10、55:1、エレミヤ書17:7-8、箴言 11:24-25、詩編 23:1-6、37:4、84:11、ヨハネの黙示録 3:20、21:6)

講話 3 – 64

気づき

あなたたちの心と魂が喜びに満ちるとき、あなたたちの体は安らぎ、全細胞が、“神の臨在”によって満たされます。“神の臨在”は、遍く満ち満ちておられるからです。

(マタイによる福音書 28:20、11:28-29、ルカによる福音書 10:21、ヨハネによる福音書 14:23,27、15:11、使徒言行録 17:27-28、フィリピの信徒への手紙 4:4-7、ローマの信徒への手紙 8:38-39、15:13、コリントの信徒への手紙一 6:19、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、イザヤ書 26:3、41:10、57:15、61:10、エレミヤ書 23:24、箴言 15:3、17:22、詩編 16:9-11、23:1-6、139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3、22:5)

講話 3 – 65

気づき

“父が臨在されている”という溢れる喜びと、永遠に“父”と共にあるという至福は、何よりも “キリスト意識” を花開かせます。心を外に向けてはいけません。心を内に向け、自己自らが“在る”(BE)を知りなさい。「“わたし”は在る(I am)、 “わたし” は真実である、 “わたし”永遠である、“わたし”は “神の霊”である、“わたし”は “命”である」――この悟りの中で、魂は歓喜します。外からの雑音が静まり、神のものではないものすべてを見分けたとき、初めてこの法悦がもたらされるのです。

(マタイによる福音書 6:6、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 4:24、14:6,20、15:11、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:3、フィリピの信徒への手紙 4:7-8、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:23-24、コリントの信徒への手紙一 2:16、ヨハネの手紙一 4:8、出エジプト記 3:14、イザヤ書 26:3、55:6、箴言 3:5-6、4:23、詩編 16:11、46:10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3、22:5)

講話 3 – 66

気づき

“生ける神の霊”、すなわち“キリスト”は、内側から外なる肉の体を通じて呼吸をします。神のエネルギーは、常に内から自己を現しています、決して外からではないのです。

(マタイによる福音書 12:34、マルコによる福音書 7:15、ルカによる福音書 6:45、17:21、ヨハネによる福音書 7:38、14:16-17、15:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、コリントの信徒への手紙二 3:3、コロサイの信徒への手紙 1:27、ローマの信徒への手紙 8:9-11、ヨハネ手紙一 4:13、創世記 2:7、エゼキエル書 36:26-27、イザヤ書 42:5、44:3、箴言 4:23、20:27、詩編 51:10、104:30、139:13-14、ヨハネの黙示録 21:3,6、22:17)

講話 3 – 67

気づき

頭脳は、“霊”によって養われ、微細で精妙なものが、粗雑なものを支配し、目に見えないものが、目に見えるものを通して流れます。目に見えるものは、目に見えないものの表現にすぎません。誰も“父”を見たことはありませんが、あなたたちは、その“子”を見たのです。“わたし”を見たものは、“父”を見たのです。

(マタイによる福音書 5:8、6:22、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:18、14:9、20:29、コロサイの信徒への手紙 1:15、コリントの信徒への手紙一 2:10,14、15:44、ヘブライ人への手紙 1:3、11:3、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマの信徒への手紙 8:5,9、創世記 1:3,27、イザヤ書 45:7、55:8-9、箴言 4:23、20:27、詩編 19:1、46:10、139:13-14、ヨハネの黙示録 21:3、22:4)

講話 3 – 68

気づき

内なる力を外に引き出すには、静かな深い思索、内省、瞑想に取り組む時間を選ぶことが不可欠です。あなたたちがその重要性に気づくように、このことを明らかにしているのです。

(マタイによる福音書 6:6、11:28-29、マルコによる福音書 1:35、ルカによる福音書 5:16、ヨハネによる福音書 7:38、15:4、ヤコブの手紙 1:5,17-19、 フィリピの信徒への手紙 4:6-8、ローマの信徒への手紙 12:2、エフェソの信徒への手紙 6:18、コロサイの信徒への手紙 3:15、テモテへの手紙一 4:15、ハバクク書 2:20、イザヤ書 30:15、40:31、箴言 3:5-6、4:23、詩編 46:10、62:1、119:15、ヨハネの黙示録 1:3、22:13-14,17)

講話 3 – 69

気づき

忙しい日常の生活から離れ、“神の国”に入り、あなたたちの内と外で、“どなた”が働かれているのかを意識しなさい。“その御方の力”を意識することによって、あなたたちの体は蘇り、心は新たにされ、心の内には、“平安と愛”がもたらされます。“キリスト”―― すなわちあらゆる物事を支配している“力” ―― を悟るとともに、周囲の物事が格段にうまく運ぶようになり、心も体も、環境や状況も、調和し始めることに気づくでしょう。

(マタイによる福音書 6:33、11:28-30、マルコによる福音書 4:39、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:27、15:5、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマの信徒への手紙 8:6、12:2、コロサイの信徒への手紙 3:2,15、エフェソの信徒への手紙 3:16、イザヤ書 26:3、40:31、エレミヤ書 29:11、エゼキエル書 36:26、箴言 3:5-6、詩編 23:3、46:10、119:165、ヨハネの黙示録 3:12、21:4、22:1,17)

講話 3 – 70

気づき

やがて、自己の内なる“父”が、“真実の自己”であることを認識するようになったとき、あなたたちは、もはや不調和や環境などに左右されず、常に、すべてを指揮するようになります。なぜなら、“内なるキリスト”が、心とその思いにおいて、王座に就くためです。

(マタイによる福音書 6:33、マルコによる福音書 16:17、ルカによる福音書 10:19、17:21、ヨハネによる福音書 14:20,23、15:4、ローマの信徒への手紙 8:37、コロサイの信徒への手紙 1:27、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 4:7-8、エフェソの信徒への手紙 3:16-17、イザヤ書 26:3、40:31、41:10、エレミヤ書 32:27、箴言 3:5-6、4:23、詩編 16:8、23:1-3、46:10、62:1、ヨハネの黙示録 3:20-21、21:3)