講話 3 – 41
気づき“キリスト”を信じる者は神から生まれたのであって、肉や人の一時的な欲求から生まれたのではありません。地上のいかなる者をも「あなたたちの“父”」と呼んではなりません。あなたたちの“父”は天におられるからです。
(ヨハネによる福音書 1:12-13、3:5-6、マタイによる福音書 23:9、ヨハネの手紙一 3:1、ガラテヤの信徒への手紙 4:6-7)
講話 3 – 42
気づきあなたたちはこの言葉の意味をまだ十分には理解できていないかも知れません。あなたたちは肉の中に生まれましたが、肉は“霊”の出生については何ら関与できません。あなたたちは“霊”から生まれたのであり、“霊”こそが万生万物を創造する“唯一の創造力”なのです。これが神と共にあった“言葉”、神であった“言葉”、肉となった不滅の“言葉”なのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-14、3:5-8、コリントの信徒への手紙一 15:40,45-50)
講話 3 – 43
気づきいまだかつて神を見た者はいません。しかし神は“わたし”の中で“キリスト”として現れています。誰でも“わたし”を見る者は父を見るのです。
(ヨハネによる福音書 1:18、14:9-11、フィリピの信徒への手紙 2:5-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-16、コリントの信徒への手紙二 4:6、ヨハネの黙示録 1:13-18)
講話 3 – 44
気づき神は“ご自身”を分離されることはなく、“ご自身”の内に“ご自身”の似姿を創られました。これが全人類の内にある “光”です。
(創世記 1:26-27、ヨハネによる福音書 1:4-9、8:12、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:6)
講話 3 – 45
気づきわたしたちは皆、同じ“命”です。“命”そのものが異なることはできないからです。姿形には“命”が表現されるさまざまな程度がありますが、“命”そのものは非人格的なものであり、“命”自身が創造した形を通じて“自己自身”を表現しているのです。
(ヨハネによる福音書 1:4、10:30、使徒言行録 17:28、コロサイの信徒への手紙 3:10、創世記 1:27、2:7)
講話 3 – 46
気づき無限なる“父”の強大な知性は、“父”ご自身の表現のためにありとあらゆる形態を創造されました。 “命”は一つであり、“唯一の源”から流れ出ますが、創造されたすべての形を通じて流れています。極小のものから極大のものまで、あらゆる形態の中に現れています。“命”は、“命”が創造したすべての形態の中に自己を現しているのです。
(創世記 1:1-31、ヨハネによる福音書 1:3-4、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、詩篇 104:24、139:7-16、使徒言行録 17:28)
講話 3 – 47
気づき“命”である“霊”によらないで存在するようになったものは何一つありません。“命”の(顕現の)程度は、“命”に気づき、“命”を現すことによって理解されます。“ご自身”に似せてわたしたちを創造された神は、“わたし”が “命”が神であることに目覚め、“命”を実現した程度に応じて、“わたし”によって“ご自身”を現されます。
(創世記 1:26-27、2:7、ヨハネによる福音書 1:3-4、14:6,20、コリントの信徒への手紙二 3:18、詩篇 104:24)
講話 3 – 48
気づき自己の意識の中で、“神の命”を認識し、自覚することが、“命”が現れる手段となります。あなたたちの意識は、神がご自身を表現なされるための連結点であり、あなたたちが、あなたたちの内なる“キリスト”という神を表現するための連結点でもあるのです。
(ヨハネによる福音書 14:10-11,23、15:4、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、フィリピの信徒への手紙 4:8、ガラテヤの信徒への手紙 2:20)
講話 3 – 49
気づきこれを意識的に認識することができるならば、 “命”そのものの隠された秘密を手に入れたことになります。
(ヨハネによる福音書 8:32、17:3、コロサイの信徒への手紙 1:26-27、詩篇 119:130、139:1-6、箴言 4:23)
講話 3 – 50
気づき“命”の秘密は今日でも多くの人びとには隠されたままです。肉から生まれたのではなく、人の意志によってでもなく、“神のキリスト”によって生まれたことを知る者のみに明かされているのです。
(ヨハネによる福音書 1:12-13、3:3-6、ガラテヤ人への手紙 4:6-7,29、ヨハネの黙示録 3:12-14、5:1-10)