講話 3 – 47
“命”である“霊”によらずに存在するようになったものは、何一つありません。“命”の現れの度合いは、“命”に気づき、“命”に目覚めることによって、理解されていきます。ゆえに、“わたし”が “命”に気づき、それが神であることを理解するにつれて、神は、“わたし”を通じて、“ご自身”を現されるのです。神は、“ご自身”に似せて、“わたし”たちを創造されたからです。
(マタイによる福音書 5:16、6:33、ヨハネによる福音書 1:3-4、3:5-6、5:26、14:6,20、コロサイの信徒への手紙 1:27、ローマの信徒への手紙 8:2、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:6、コリントの信徒への手紙二 3:18、創世記 1:26-27、2:7、出エジプト記3:14、イザヤ書 42:5、43:7、箴言 4:23、8:35、詩編 36:9、104:24、139:14、ヨハネの黙示録 21:6)
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