講話 2 – 51
気づき時間は存在しません。 “わたし” はこれまで存在し、今も存在し、今後もずっと存在し続けます。この悟りの中で、あなたたちも“全能者の生ける現れ”であることを忘れてはなりません。なぜなら、“父”は常にあなたたちの中で働いておられるからです。
(ヨハネによる福音書 14:10、17:3、ヘブライ人への手紙 13:8、詩篇 90:4、イザヤ書 43:10)
講話 2 – 52
気づきあなたたちの中にある“神聖な力”は、わたしの中にあるものと同じです。あなたたちの意識が大いなる“神の意識”へと開かれていくにつれて、あなたたちは “わたし” を知ることになります。
(ヨハネによる福音書 14:20、コリントの信徒への手紙一 6:17、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙4:6、ヨハネの手紙一 4:16、マタイによる福音書 5:14)
講話 2 – 53
気づき“キリストの声”は恐れを知らず、全能です。“キリスト”は“征服者”であり、今後も打ち勝っていきます。“キリスト”が万生万物を支配することは、“神の法則”だからです。
(フィリピの信徒への手紙 2:9-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、ヨハネの黙示録 17:14、コリントの信徒への手紙二 12:9、詩篇 23:4)
講話 2 – 54
気づき十字架という象徴は、人の中にある“キリスト”が、世に打ち勝つということ、すなわち、人の手によって造られたのではない神殿(肉体)の中での、目覚め、献身、荒野での試み(誘惑)、磔刑(たっけい)、復活、昇天を示しています。これが“キリスト”であり、“勝利者”です。この各段階については、すでに説明しているので改めて説明する必要はないでしょう。しかし、“わたしの言葉”を再び読むならば、あなたたちの内なる“霊”が、さらに“真理”を明かすでしょう。
(ヨハネによる福音書 2:19-21、14:20、16:33、マタイによる福音書 4:1-11、5:14、28:5-6、マルコによる福音書 8:34、ルカによる福音書 9:23、24:46、ガラテヤ人への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 2:8-9、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヨハネの手紙一 4:16、ローマの信徒への手紙 6:4、箴言 4:18、24:16、詩編 22:1、34:19、ヨハネの黙示録 1:18、2:10、3:21、12:11、19:16、21:3-4,22、 22:20)
講話 2 – 55
気づきあなたたちが“キリスト”を展開していくにつれて、“聖霊”はあなたたちの意識に、あなたたちの心の内奥に隠された秘密を明かしていくでしょう。 “わたし” は“命”であり、“真理”であり、“道”です。誰でも “わたし”、すなわち“キリスト”を通してでなければ父の御許に行くことはできません。他に道はありません。いかなる道も決してなかったのです。
(ヨハネによる福音書 14:6,26、コリントの信徒への手紙一 2:10、ヘブライ人への手紙 4:12、マタイによる福音書 6:33、ヨハネの手紙一 4:13、詩篇 139:23)
講話 2 – 56
気づき“キリスト”とは神の“言葉”であり、神であった“言葉”、神と共にあった“言葉”、肉となった“言葉”です。
(ヨハネによる福音書 1:1-14、詩篇 33:6、イザヤ書 55:11、ヨハネによる福音書 1:14、ヘブライ人への手紙 1:1-3)
講話 2 – 57
気づきこれが“実在”におけるあなたたちの“真我”であり、“父なる神”が知り給うあなたたちです。あなたたち自身も、自己自身をそのように知らなければならないのです。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:9、17:11,21-23、創世記 1:27、コリントの信徒への手紙一 3:16)
講話 2 – 58
気づき肉の感覚の声は影の声、すなわち分離、制約、病、死を仄(ほの)めかすサタンの声です。神の一人子、すべての父である“キリスト”を堅持しなさい。
(ヨハネによる福音書 14:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:16-25、ローマの信徒への手紙 8:5-16)
講話 2 – 59
気づきサタンを恐れてはなりません。恐れるべきものは何一つないからです。あなたたちが言うべきことはただ一つ、「肉の想いであるサタンよ、“わたし”の後ろに下がれ。“わたし”は“人の子”にして“神の子”、“勝利者”である。“わたし”は自分で生きているのではなく、“父”によって生きているのである。“父”は常に“わたし”と共にあり、“わたし”の導き主なのである」。
(マタイによる福音書 4:1-11、16:23、ヨハネによる福音書 14:10、ローマの信徒への手紙 8:37)
講話 2 – 60
気づき“わたし”がこれらのことを語ったのは、あなたたちが “わたし” の中で安らぎを得るためです。世には試練があります。しかし勇気を持ちなさい。“わたし”は世に打ち克ちました。あなたたちも世に打ち克つのです。
(ヨハネによる福音書 14:16-17,26-27、16:33、ローマの信徒への手紙 8:37、ヤコブの手紙 1:12、ヨハネの手紙一 4:18)