講話 2 – 56
キリストは神の“言”であり、神であった“言”、神と共にあった“言”、そして肉となった“言”なのです。
(マタイによる福音書 1:23、4:4、16:16、17:5、マルコによる福音書 13:31、ルカによる福音書 1:35,37-38、8:11、21:33、ヨハネによる福音書 1:1-14,18、6:63、8:58、10:30、12:44-45、14:6,9-11、17:5,21、使徒言行録 10:36、13:26、ローマの信徒への手紙 9:5、10:8、コリントの信徒への手紙一 1:18,24、コリントの信徒への手紙二 4:5-6、5:19、ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12、4:4、エフェソの信徒への手紙 1:9-10,22-23、6:17、フィリピの信徒への手紙 2:6-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、2:9、テモテへの手紙一 3:16、ヘブライ人への手紙 1:1-3、4:12、5:20、テモテへの手紙一3:16、ペトロの手紙一 1:23、ヨハネの手紙一 1:1-2、5:7、創世記 1:1-3、出エジプト記 3:14、4:12、イザヤ書 7:14、9:5-6、40:8、55:11、エレミヤ書 23:5、ミカ書 5:2、 マラキ書 3:1、ヨブ記 19:25、コヘレトの言葉 3:14、箴言 8:22-23,30、詩編 33:6,9、107:20、ヨハネの黙示録 19:13)
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