講話 2 – 1
気づきこれらの講話は、“わたし”が語ったままに記録されていますので、“わたし”の言葉を、思い出し、覚えておくのに役立ちます。語られた言葉をすべて記憶するのは難しく、言葉の背後にある意味を、心に伝えることも困難です。しかし、注意深く聞くならば、理解することができるようになります。“わたし”の言葉は深遠であり、永遠の“真理”を内包しているのです。
(マタイによる福音書 13:9、24:35、マルコによる福音書 4:20、13:31、ルカによる福音書 8:8、ヨハネによる福音書 14:26、16:12-13、ヘブライ人への手紙 4:12、申命記 6章6-9、イザヤ書 55:10-11、ヨシュア記 1:8、箴言 2:1-5、4:20-22、詩編 19:7-8、119:11,105、ヨハネの黙示録 1:3、22:7)
講話 2 – 2
気づき言葉に表現しがたい何かを心に伝える唯一の方法は、扉を開く鍵を与えることです。そうすれば、あなたたちは、自分でその扉を開けることができるようになります。これが、聖書にある「…そして、天から声があった」という聖句の意味なのです。
(マタイによる福音書 3:17、16:19、17:5、マルコの福音書 1:10-11、ルカによる福音書 3:22、9:35、11:52、24:45、ヨハネによる福音書 10:27、12:28-29、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、使徒言行録 2:2-4、9:1-9、イザヤ書 22:22、箴言 1:23、詩編 119:18,130、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 2 – 3
気づき“天”とは、場所のことではなく、神の意識(an awareness of God)のことです。あなたたちは、何を意識していますか、しばらく振り返ってみなさい。自分のことだけでしょうか、外部の物事でしょうか、眼や耳で見たり聞いたりしていることでしょうか。それとも、心を内に向け、 “内なる声”を意識しているのでしょうか。“内なる声”は、 “ご自身”を、その偉大さを、その偉大な力を、あなたたちの生活の中で明かそうと、待機しているのです。
(ルカによる福音書 17:20-21、ヨハネによる福音書 10:27、14:6,16-17,23,26、マタイによる福音書 6:22、ヨハネの手紙一 2:27、コリントの信徒への手紙二 4:18、ローマの信徒への手紙 8:5-6、ヤコブの手紙 1:5、列王記上 19:11-12、イザヤ書 30:21、55:8-9、箴言 2:10-11、3:5-6、4:23、8:34、16:9、20:27、詩編 46:10、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 2 – 4
気づき前回ここに集ったとき、わたしは、 “無限なるもの” ―― すなわち、“命”と“愛”は、あなたたちの感覚の理解を、はるかに超えているものであることを、明らかにしました。しかし、神は、偉大で驚異的なだけでなく、同時に、きわめて柔和で控えめな御方です。神は、あらゆる空間を満たし、すべてを創造されています。あなたたちが、このすべてに浸透している神の“命”を意識するようになるとき、それは、あなたたちの魂の最奥、かつ最高の熱望に対する答えとなります。なぜなら、“愛”は、“愛自体”を満たすからです。
(マタイの福音書 5:8、11:28-29、マルコによる福音書 10:27、ルカによる福音書 1:37、12:31-32、ヨハネによる福音書 1:16、14:6、15:5、コリントの信徒への手紙一 2:9、コリントの信徒への手紙二 13:13、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、エフェソの信徒への手紙 3:18-19、ヨハネの手紙一 4:8,16、出エジプト記 3:14、エレミヤ書 23:24、イザヤ書 55:8-9、57:15、箴言 8:35、詩編 23:1-3、36:7-9、139:7-12、ヨハネの黙示録 21:6、22:1-2)
講話 2 – 5
気づきこの“愛”こそ、世に存在する唯一の力であり、このことを完全に把握すれば、もはや恐れるものは何もありません。“愛”は、“無限なる御方”ご自身の“中心の泉”から湧き出で、最も低きものから最も高きものにいたるまで、すべてのものの中に、“ご自身”を表現されています。それは、鉱物から“宇宙”に存在する"最高位の天使的存在"(the highest angelic Beings)に至るまで、現れているすべての界層を貫いて流れているのです。
(マタイによる福音書 5:45、マルコによる福音書 10:27、ルカによる福音書 12:6-7、ヨハネによる福音書 1:3、4:16、ヨハネの手紙一 4:8,18、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ローマの信徒への手紙 8:38-39、コリントの信徒への手紙一 13:13、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、箴言 8:22-31、詩編 23:1、36:5-9、148:7-12、ヨハネの黙示録 21:1-5、22:1-2)
講話 2 – 6
気づきまず、“あなたは在る”、“永遠に在る”ということを徹底して学びなさい。あなたたちの現在の状況は、霊的な成長のための機会です。今あなたたちが置かれている状況は、あなたたちにとって、最も必要なものなのです。
(ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、11:25、13:19、14:6、15:2、18:5-6、ルカによる福音書 17:21、コリント人への手紙二 4:16-18、ローマの信徒への手紙 8:28、ヤコブの手紙 1:2-4、フィリピの信徒への手紙 4:11-13、出エジプト記 3:14、申命記32:39、エレミヤ書 29:11、イザヤ書 43:10、コレヘトの言葉 3:11、箴言 3:5-6、詩編 46:10、82:6、139:13-14、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13-14,17)
講話 2 – 7
気づき存在するものはすべて“霊”であり、“霊”以外には何も存在しない、という大いなる“真理”を学ぶとき、あなたたちの目から“鱗(うろこ)が落ちる”のです。
(マルコによる福音書 12:30、マタイによる福音書 5:8、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1-1、4:24、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヘブライ人への手紙 11:3、ローマの信徒への手紙 8:11、使徒言行録 9:18、17:28、創世記 1:2、2:7、箴言 20:27、詩編 139:7-8、104:29-30、ヨハネの黙示録 22:17)
講話 2 – 8
気づきわたしはやむを得ず、あなたたちの言葉や表現方法を用いています。しかしこれらの言葉は、“霊的な真理”を伝えるには、まったく不適切です。しかし、内なる“霊”に、あなたたちが自らを開くことによって、“わたし”が語っていることが、真実であることを理解するでしょう。
(マタイによる福音書 10:20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 12:12、ヨハネによる福音書 14:6,17,26、16:13、コリントの信徒への手紙一 2:12-14、ローマの信徒への手紙 8:26-27、歴代志下 7:14、ヤコブの手紙 1:5、エレミヤ書 31:33-34、イザヤ書 55:8-9、箴言 2:6、3:5-6、詩編 119:105、139:6、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 2 – 9
気づきそれでは、神とその子孫である人類についての、“偉大なる真理”を、共に考えていきましょう。
(マタイによる福音書 5:9,48、ルカによる福音書 3:38、20:36、ヨハネによる福音書 1:1-14、1:12、ローマの信徒への手紙 8:16-17、ヘブライ人への手紙 2:6-8、ガラテヤの信徒への手紙 3:26、エフェソの信徒への手紙 2:18、使徒言行録 17:28-29、創世記 1:26-27、箴言 3:1-3、8:22-23、詩編 8:3-9、82:6、ヨハネの黙示録 21:7)
講話 2 – 10
気づきあなたたち、本当のあなたたちは、外側に表れているもの、目に見える姿・形ではありません。あなたたちのパーソナリティ(自我・個性)も、本当のあなたたちではありません。それは、あなたたちの“真我”(Real Self)とは、かけ離れたものだからです。真のあなたたちは、“実在”の内に生きている“意識的存在”であり、“天からの声”です。この内なる“天からの声”に、気づきなさい。そうすればあなたたちは、 “わたし”をも知ることになるのです。
(マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 4:24、10:27-30、14:6、マタイによる福音書 6:6、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 5:16-17、ローマの信徒への手紙 8:16-17、コロサイの信徒への手紙 3:3、箴言 20:27、詩編 46:10、ヨハネの黙示録 3:20)