講話 2 – 95

放蕩(ほうとう)息子のたとえ話の中に、“父の愛”が表現されています。放蕩息子の放縦、悔い改め、自己を取り戻すこと、すなわち、真の霊的回復までが示されています。試練と苦難に見舞われ、“父”からの相続財産を使い果たし、召使いになることを心に決めて帰ってきます。しかし“父”は、昔も今も自分の息子であるとして、迎え入れるのです。

(ルカによる福音書 15:11-32、19:10、マタイによる福音書 7:11、18:12-14、ヨハネによる福音書 3:16、ローマの信徒への手紙 5:8、8:15、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 2:4-5、ガラテヤの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 1:21-22、申命記 30:2-3、イザヤ書 54:7-10、55:7、エレミヤ書 3:22、エゼキエル書 18:21-23、箴言 3:11-12、詩編 103:13、ヨハネの黙示録 3:19-20)

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